今年3月、瀬戸内サーカスファクトリー代表の田中未知子さんが、おらが街仏生山町の「アジール」敷地内に「サーカス図書館」を開きました、という新聞報道を読みました。やるということは聞いていましたが、このように大々的に報道されているのを見ると、「わぁ凄いことなんだ」と感心しています。
現代サーカスは、1970年代にフランスで生まれた曲芸と舞台芸術を融合させた新しい芸術活動だそうです。そのサーカスの世界に親しんでもらおうと、国内外で収集した約300冊を紹介し、「髙松から現代サーカスを発信していきたい」と意気込んでいます。
田中さんは2004年、当時勤務していた北海道の新聞社で現代サーカスの公演に携わったことがきっかけとなって、その道にはまってしまったようです。高松移住は、2010年に瀬戸内国際芸術祭で舞台芸術担当として来県してこの地に触れたことから。
次の目標は、「常設のサーカス施設を整備」というから腰を抜かします。しかしこれは面白いですね。仏生山町には昭和40年代まで、香川座という映画館がありました。戦前の写真を見ると、舞台をやっていたようです。いまの、高松信用金庫仏生山支店あたりです。私も、小学生の頃ですが何度か行きました。
もっともこのサイズと、田中未知子さんが考えているサイズは違いますが、人を喜ばす、楽しませるという崇高な考え方は、共通しています。仏生山芝居小屋も、数年続いています。高齢者ですが、熱心なファンがいるようです。
ところで私の知る日本独自の昔からのサーカスの発祥は、高松だと聞いています。「矢野サーカス」の発祥が、高松市内の「ライオン館」です。サーカスのライオンがいたことから、ライオン館と呼ばれたのです。いまはライオン館がマンションに変わっていますが、ライオン通りの名前は残っています。