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転んでもただでは起きるな!定本安藤百福
48歳、苦難の末にインスタントラーメンを発明して、世界の食文化を変えた男の、絶対諦めない波瀾万丈の人生を書いた本です。「定本」というのもあまり目にしないものですが、本人も認めた内容だという意味だそうです。安藤百福発明記念館編で、中央公論社から文庫で、2013年に出版されたものです。

ご存知、日清食品の創業者で昭和33年安藤百福氏48歳の時に、麺の瞬間油熱乾燥法を開発し、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を完成させた安藤百福氏の生涯を描いた本です。当時の商号は「サンシー殖産」、一食35円でした。

安藤百福の発明したチキンラーメンを創始とするインスタントラーメンは、わずか半世紀の間に世界で年間1千億食も食べられる地球食に成長しました。この食文化の奇跡を起こした伝説的実業家とは、果たしてどんな人間だったのか。

世界中でMr.ヌードルと呼ばれて尊敬される発明家の奇想天外な人生、常識を超えた発想の数々を集大成して、珠玉の名言集や、自分史も書かれています。良くまとまった人生史だと私は思いながら読み入りました。業績は華々しいものですが、その過程は実に泥臭いものでした。

本書はハレー彗星の接近とともに生まれ、97歳で宇宙に旅立った安藤百福・全人生の記録である。百福の人生は、文字通り波瀾万丈だった。成功と失敗をくりかえし、無一文になっても、「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が、血や肉となって身についた」と再起をかけて立ち上がった。

「人生に遅すぎるということはない。60歳、70歳からでも新たな挑戦はある」。百福の残したこの言葉は、先の見えない世の中と人生に不安を抱える多くの人々へ向けた渾身のメッセージである。帯書きより転記。

今日は、昭和20年8月6日広島に原爆が投下された70年後の一日です。安藤百福氏は昭和20年、御年35歳の時の8月15日、疎開先の兵庫県上郡玉音放送を聞くのでした。戦後食べる物がなく栄養失調で亡くなる人々を見て、食に大切さに目覚めたと言われています。

大阪梅田の闇市でラーメン屋台に並ぶ行列を見て、日本人のラーメン好きを再認識します。この時の光景が、13年後の「チキンラーメン」開発の原風景となったのです。

後半名言集の145頁に、「即席麺の発想にたどりつくには、48年間の人生が必要だった。過去の出来事の一つ一つが、現在仕事に見えない糸で繋がっている」。と述べられています。

2006(平成18)年12月30日、日清都カントリークラブで新しい防寒ズボンをはいて、その年113回目のラウンドを楽しんだ。翌2007(平成19)年正月4日大阪本社で仕事はじめの初出社。翌5日早朝、38℃の高熱で救急搬送される。午後6時40分、急性心筋梗塞で安藤百福は、天寿を全うした97歳の人生。あっぱれとしか、言いようがない。私もかくありたい。


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| 社長日記 | 08:50 AM | comments (0) | trackback (0) |
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