かねてより氏神様熊野神社境内の社務所改築の話がありましたが、平成28年度総会の議決に基づき、本日第1回の建設委員会が開催されて、川部義一さんが建設委員長にそして不肖私が浦尾麗子さんと一緒に、副委員長に祭り上げられました。またまた今度は「寄進」という名の募金が、私に覆いかかってきました。
小欄でもご案内の通り、高松商の募金は副会長年会費1万円(会長5万円)の支払を最後に、今年はひとまず終わりそうです。選抜大会出場はないので、夏まではそんなに心配はいらないと思います。ライオンズクラブ幹事も、もう半分近く経過しました。しかし例の、平成乙女の像建立計画が進行中であります。
熊野神社社務所は331戸の氏子で負担しますが、寄進予定額が1550万円ですから単純計算で約5万円/戸。しかしこの中には、年金暮らしの定期収入なしの世帯も数多くあります。高齢化独居老人の家も、数多くあります。
子どもや孫の相続人が負担してくれたら良いのですが、若い世帯には住宅ローンがあるとか理由をつけて、神社仏閣への畏敬の念も脆弱になっています。だから今、われわれ世代がやっておかないと次の世代に負担を求めることは難しいと思います。
だから京都下賀茂神社のように、境内地の一部を定期借地としてマンション業者へ50年賃貸し、その地代を遷宮費用に充てるというアイディアも出てくるわけです。京都といえども、これまで支えてきた氏子も以下同様にとはいかなくなってきています。
また会社経営者も、景気の良いときであればポンと100万円とか過去には記載が残っていますが、今のこの混沌とした時代はそんな期待も出来ません。私にも多くを求められているようですが、平成乙女の像の見通しが立たない中では均等割負担が精一杯です。
それでも熊野神社に対しては、感謝の気持ちで一杯です。35年前に母親が未亡人でありながら「当家(とうや=祭りの当番の家で神が降りてくる家)」を引き受けた経緯があります。町内のみなさんの協力で、万事遺漏なく務めることが出来ましたが、その年に当時の宅地建物取引主任者試験に合格できました。
昭和37年の父茂の亡き後、落ち込んでいた運気がこの年を境に向上したように思います。また私の仕事でも、麺業を廃業後に自宅から今の事務所付近へ拠点を移しました。面白いことに私の自宅は、「仏生山町乙」で「仏生山町甲」が仏生山町の氏神様「滕神社(ちきり)」であるのに対して、出作町の「熊野神社」です。
昔からのことでその経緯はよくわかりませんが、滕神社の下までが、「仏生山町乙」となっています。町制より神社の制度が早くできたのは想像できますが、要するに私の仕事でも、この付近住まいする熊野神社氏子のみなさんに大変お世話になっています。この地に来てから、もう25年は経過しています。
生まれながらの氏神様に、その後も私も何度か神社当番をして元旦を迎えたこともありましたが、確かにこの神社の維持管理は、今やらねばならぬ事であります。今年の大祭の決算書を見ても、16万円弱の赤字です。福引き券を販売していますが、この勘定が逆ざやになっているのが原因です。
つまり福引き券販売代金より、購入商品の代金が多いのです。だから氏子が喜んで福引き券を購入するという善循環にあるのですが、その赤字を年間賽銭やお札販売代金で充当しています。さらに境内の古木の倒壊が始まっていて、昨年の被害で15万円ほど保証金を支払ったようです。
少なくても社務所建設と、古木の伐採をある程度はしておかなくては、神社経営がたちいかなくなります。神社がなくなっても生活してはいけますが、心のよりどころの一つとして、熊野神社も欠かせないものです。たかが神社、されど神社。