高松の冬のクリスマス付近の風物詩、高松冬のまつりが30回を迎え今年で終わる。バブル絶頂期の昭和62年、高松栗林ライオンズクラブの結成20周年の記念アクティビティーとして始まった高松冬のまつり。最初の提唱者は、高松栗林ライオンズクラブ。そしてKSB瀬戸内海放送と、高松市に働きかけました。
記念すべき20周年の会長は、故加藤直太(加藤眼科院長)、幹事は塩田博志、会計が徳永孝明ライオン。また財務計画委員長が吉村屹ライオン、行け行けドンドンのメンバーに、ディレクター役の元L岡内修三氏等が仕掛けを考えます。度肝を抜く企画が目白押し、それが高松冬のまつりでした。
高松冬のまつりは、「子ども達の目の輝きを大切にしたい」「親と子の語らいの場を提供したい」というコンセプトではじまり、今年の最終章でもこれを貫きます。神戸のルミナリエや札幌大通りのイルミネーション83万個とか、世の中の関心は電球の数。明かりの下で、何かをするという発想にはならない。
高松栗林ライオンズクラブがまず提唱した高松冬のまつり、最後まで栗林LCがまつりを盛り上げようと、22日から25日までの期間中、高松第一学園の子どもらとライオンズ農場で作った芋を、「焼き芋」としてチャリティー販売します。高松中央公園内の北側、高松市役所庁舎側で販売します。
また22日(木)チャリティー点灯式後の例会は、高松栗林ライオンズクラブと高知黒潮ライオンズクラブの合同例会で、また「ホームカミングDay」としてまつり関係者、ライオンズクラブ関係者総勢140人規模で盛り上げようとホテルパールガーデンで企画しています。
長崎の島原ライオンズクラブは、1991年普賢岳噴火で落ち込んでいた島原第4小学校の生徒10数人を、第5回高松冬のまつり点灯式の舞台へ上げる手伝いをともにして下さいました。今回無理を申して、参加決定。金沢兼六ライオンズクラブにも声がけしています。
姉妹提携関係の岡山後楽ライオンズクラブも、勿論来てくれます。30年間のある意味長きに亘って支援頂いた高松屋島ライオンズクラブや、今年台湾で行われた高松冬のまつりイベントに参画してくれた高松紫雲ライオンズクラブ、これまでチャリティー募金でお世話になった人・組織に感謝状を出します。
30年間、いろいろあった高松冬のまつりですが、子どもたちの喜ぶ姿に自らの満足をかぶせてやって来たように思います。みんな年を取りました。人生80年の内の30年です。人生の中の、意味ある30年です。