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熊野神社第7回建設委員会
取り組んでいる「高松市出作町191-1」熊野神社の社務所建設委員会が、もうはや7回目を迎えています。本日は9時から、拝殿で遙拝の後、会議が始まりました。現在は、旧所の建物解体中であります。既存の建物は2階建でしたが、新しい社務所は平家建て、こぢんまりとした建物になります。



心配していた建築費の寄進ですが、予定していた1,600万円を超えて2,200万円超集まったそうです。これで予定していた社務所が出来そうです。すでに解体のための神事を、終えています。秋の例大祭(10月第4日曜日)までには、完成の予定で工事が進みます。

どこでもそうであるように、最近は神社仏閣の御利益がないと言って、特に若者たちに神社の存在感がないと思われている。私の世代はまだ、年末年始は神社詣でをする習慣があるし、子供らにもそのように教えました。孫が出来たら、恐らく嫌がるのを強制して連れて行くと思います。

心の中の問題ですから、目に見える御利益はありません。何だかよく分からないが、境内に入ったら木がうっそうとしているからか、威厳のようなものを感じる。参拝の作法に従って手を合わせると、何だか「良い子」になったような気もします。

ここの熊野神社は、もちろん紀ノ國の音無川のほとりに鎮まります熊野本宮大社からの分霊であることは間違いのないことですが、来歴は残念ながら資料の散逸や消失により、年代はもとより当地のいずれの人々によってこの地に創建されたのかも判然としません。

記録に登場するのは、元禄14年(1701)になってであります。元禄15年12月14日の深夜に、四十七士が両国の蕎麦屋の二階に全員集結し、蕎麦を肴に最後の宴を開いてから討ち入りにでかけたという忠臣蔵(浅野事件)のころであります。

左責任総代飛倉喬氏・右工藤正利総代

左会計川西澄夫氏・右事務局大薮修二氏

境内には樹齢500数十年のクロガネモチがあり、残念ながら平成18年に枯死したのですが、これから逆算すると1450年の室町幕府の時代で、政局は安定せず一揆も各地で発生した時代。もう少し早かったとしても、鎌倉幕府の御代で、いずれにしても民が豊かな生活で神社を建立するという時代ではなかったように思うのですが。

こう考えても先人の発想力と実行力は、凄いものがある。どう考えても間尺に合わないことが、身の回りに現存する。城の石崖にしても、機械のない時代にどうしてあんなものが出来たのか。恐らくそれが、日本人の底力なのだろう。


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| 社長日記 | 08:20 AM | comments (0) | trackback (0) |
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