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オイスカラバウル「子供の森」計画学校を訪問
日本では自民党と公明党の連立政権が大勝し、香川第1選挙区では平井卓也前衆議院議員がその差1,500票という僅差で、小川淳也(希望の党)に勝ったと伝えられています。反面第2選挙区では、玉木雄一郎候補(希望の党)が、3万票の大差をつけて瀬戸隆一(自民)氏を撃破したとも。瀬戸隆一(自民)候補の、比例区返り咲きは果たせなかった。香川第3選挙区は、予想通り防衛副大臣の大野敬太郎氏が大勝と。

また現地のNHKBS放送では、台風21号が大阪へ被害を与えていると伝えています。NHKニュースも、音声は英語ですから詳しいことは分かりません。ホテル内のWi-Fiを使ってこうして小欄を書いています。昨日からの鼻炎性風邪は、中野悦子オイスカ理事長から頂いた鼻炎の薬が効いて、朝からはな水が止まってとても快適です。

本日は、子どもたちの「自然を愛する心」を育みながら、地球緑化を進める「子供の森」計画を実施している小学校の一つを訪ねました。ここの国の小学校は、8年間就学期間があるそうです。従って年長さんは、14歳になります。多数の民族が同居しています。



訪問団女性陣が浴衣を持参して彼女たち代表に着せようとしますが、なかなか交渉は難航しています。「恥ずかしい」は地域を越えて、同年代の共通項です。因数分解のXですね。未知数の可能性を感じます。この中の何人かが、将来国を背負う人材になってくれる?

ところでパプアニューギニアという国は、1526年に上陸したポルトガル人が「パプア」と名付け、その後に上陸したスペイン人が「ニューギニア」と名付けたことに始まります。パプアはマレー語の「縮れ毛」を意味し、ニューギニアはアフリカの「ギニア」に似ているからと言われています。

首都は「ポートモレスビー」で「ニューギニア島(本島)」の東に突き出た半島の南にあり、人口約30万人の近代的な都市であります。残念ながら今回は、トランジット(乗り継ぎ)だけの使用になります。パプアニューギニアの総面積が日本の約1.25倍、人口770万人赤道直下にあり700もの島を所有しています。

日本では考えられないことですが、ニューギニア島の東半分が最後の秘境と言われたパプアニューギニア独立国であり、西半分はインドネシアに属する「インリン・ジャン」。ラバウルは、ニューギニア島の東に位置するニューブリテン島の最北端にあり、海から温泉がふき出ているという非常に珍しいところであります。

パプアニューギニアでは、違法伐採が続き切り出した木を運ぶために道を作るなど激しい森林破壊が行われています。こうした乱開発対抗して、オイスカでは子ども達と一緒になって植林活動を続けています。今日も幼子に、オイスカ理念の実践である植樹活動の重要性を伝え植樹をしました。

それもオイスカラバウル・エコテック研修センター職員が、小学生に寸劇で伝えます。日本だったら教室でパワーポイントかな。その後に富山県議団を中心とした「オイスカ富山」が、「おわら風の盆」踊りを踊って盛り上げます。しかし国内では知られたおどりでも、ここラバウルでは全く知られていません。それでも富山団は、根気よく踊ります。

日本訪問団からのパフォーマンスで一番浮けたのは、何と三三七拍子ならぬ、1・2・3・7拍子でした。その前後に三好東陽さんの太鼓が入ります。重要なのは日本人へ、お返しの実践は自分たちがしますという宣誓のようにも聞こえました。これが一番の、意義のあるあるイベントでした。子供の国計画参加校数は、69校にまで拡大しています。

次に平和記念碑での、参拝献花を見て山本バンカー(山本五十六長官が死ぬ前日に会議をした地下壕)を見に行きました。日本海軍が、地下に急ぎ作った会議室があります。ここで翌日1943年4月17日の夜に、山本五十六長官や樋端久利雄航空甲参謀も山本五十六長官と一緒で、この地域の明日を話し合いました。そしてラバウル海域に墜落しました。

記念碑では、日本から持ち込んだ蝋燭線香や日本酒まで、そして献花の花まで全員の分が用意されています。柿沼登氏は、院号の入った卒塔婆(そとば)を持ち込んでいました。国歌を歌い、涙した後黙祷のあと献花をします。「ここに眠る英霊のおかげで、今日の日本がある」と真剣に思います。般若心経を挙げるもの、祝詞奏上をするもの、多才です。

ホテルへ帰る前に、ココポマーケットへ立ち寄りました。大勢の売り子買い子で賑わっています。オイスカ研修センターの産物も、ここで販売するようです。また1985年、オイスカ誘致を熱心に懇願した当時の中央政府厚生大臣であったマーティン・トバデック氏の娘さんから声をかけてきました。オイスカは、ラバウルで有名です。




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| 社長日記 | 05:45 AM | comments (0) | trackback (0) |
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