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ラバウルの三日目いよいよ面白くなりますよ
いよいよラバウルエッステック研修センターの、30年記念式典へ出向きます。朝7:50分集合は、これはきついですね。それも食事が始まった、7時に言うのです。予定は8:30でした。海外の活動に、YESがあってNOがありません。言われるままに、集合します。 汚い話ですが、野菜と明治ヨーグルトと、かみさんの甘酒が食卓にありません。これでは、出るものもなかなか出ません。とはいいながら、体調管理が進んでいます。北村昌史ライオンに頂いた薬も、毎時飲んでいます。中野悦子オイスカ理事長の薬も、効果があったと思います。 今日は、センター開設30周年記念イベントです。9時開始予定が、10:30分頃始まりました。時間の観念は、あってないようなものです。オイスカ日本方式であっても、パブアニューギニアはルーズです。日本人指導者の矢野さん75歳は、日本人の教えの10%実践がまだ良い方だと嘆きます。 そして極めつけは、ここの議員の挨拶は長い。5分の予定が気分が高揚しだしたら、30分は厚かましく話す。それも熱く。聞いているのかと思えども、半分しか聞いていないと、大学教授は言う。勿論この大学教授は日本人です。浮田和也会長の話が長いとよく言われましたが、この類いでは勿論ありません。 各部族の踊りが、最後に出てきます。オイスカからの、ギャラはなし。オイスカはこの地方では、間違いなくヒーローです。私はそんなオイスカのポジションも知らず、恐れ多くも中野悦子オイスカ理事長に薬を頂いていました。ほんの少しばかり、要求して。 遅れて始まった開会式は、野外です。来賓だけが茅葺きの屋根の下にいます。私は体育館のような建物内を想定していましたが、昨日の小学校イベントも、屋根だけの教会跡でした。式では、パプアニューギニアの国歌、続いて日本国国歌「きみが代」を歌いますが、いつもここで涙が流れて止まりません。今日は、石川県砺波市で買い求めたサングラスのお陰で、泣いたのがばれずに「君がよ」を歌いました。 日本人の多くは、効率を求めて動きますが、ここラバウルではそんなにあくせくしても無駄です。日常気温が高いために、昼間は仕事が出来ません。しかし朝は一部では、6時前から働いています。特に女性の働く姿が目につきます。その成果が今のパブアニューギニア島の労働環境を形成しています。つまり助成が、助成金がそこを駄目にします。 この3日間、鋭い教えを頂きました。この国の宗教は、99%プロテスタントのようです。宗教が世界を救うことも、稀にはあることでしょう。式典で国会議員や州知事が盛んに、今この地域が頑張って立ち上がれと、一人が30分も40分も話すんだから、まさにKYですね。貿易をして、外貨を稼がなくては。 穀物の輸入額が、国家予算の90%を使うと言うから驚きです。パブアニューギニア島は最初ドイツが統治しました。その後はオーストラリアが統治したのですが、オーストラリアは「この国では稲作が出来ないと」断言をしたそうです。中国は金を持ってきてそれを使って建物建築をして帰ります。そして1年もしたら雨漏れで、大変です。建築しない国民は、修理も出来ません。 勿論パブアニューギニア独立国には、中国からのODAつまり借金だけが残ります。だからパブアニューギニアの人らは、日本にオイスカに協力を求めます。年内に、パブアニューギニアの2つ目の研修センターが開所します。オイスカに寄せるここの人の熱望は、熱いものがあります。 今日の朝書いた小欄が、ホテルのWi-Fi停止でインターネットが使えず、ポートモレスビーの空港でUPにチャレンジしたのですが、結果原稿を成田まで持って帰って来ました。今、成田でこれをUPしています。

| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=3936 |
| 社長日記 | 11:12 PM | comments (0) | trackback (0) |
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