昨年10月に予定されていた標題の記念行事が、衆議院議員選挙のために延期されて、本日無事に開催されました。会場は、衆議院第一議員会館大会議室と多目的ホールでした。勿論オイスカ議連の会合は、私にとって初めての経験です。1967(昭和42)年に、当時の佐藤栄作総理の呼びかけで、国会議員が相集い「オイスカ議連」を発足させたのであります。
オイスカは地球環境を考え、開発途上国の産業開発事業の推進と友好親善に取り組む国際NGOです。現場に根を張った日本のNGOとして、国際社会に対するわが国の国際貢献の一端を民間の立場で担っています。政府が政治的配慮で関与できない例えばミャンマーなどへも、オイスカは、支援をしています。
オイスカは1961年に創立し、1966年から農業協力・人づくり路線をスタートしています。現在までに、24,000人の研修生を日本国内外で受け入れていて、1967年にこの議連が発足しています。現在では世界9カ国に、20の研修施設を持っています。
そして2017年には、私が行ったパブアニューギニアに2番目の「オロ・オイスカ研修センター」が立ち上がり、ミャンマーのマンダレー地域に民間主導の研修センターが、そしてフィリッピンにも、新しい研修センターが出来ています。これらは初期の設立スタイルとは異なり、そこの政府や州が土地を提供し、日本政府が建物を建設し、オイスカは運営にあたります。
オイスカがこのように、50年以上世界の国々で活動をしてこられたのか、これは七不思議の一つ。日本でのオイスカスタッフは、わずか120人です。しかしこれにオイスカ会員が個人で3,000人、企業で1,500います。加えて海外での総局・支局メンバーが75カ国7,500人。海外研修生OB・OGが24,000人、それに日本の議員連連盟が69名います。
日本人の現地スタッフは、「草」となって、まさに生涯を捧げて貢献しています。日本人に比べて理解度3割、実行力1割の相手に繰り返し繰り返し、農業(主に稲作)を教えています。私も昨年10月ラバウルへ行って、オイスカ病に罹ってしまいました。まず出来ることは、会員増強です。ライオンズクラブ、とりわけ「高松紫雲LC」メンバーを口説いてみます。