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第100回全国高校野球選手権大会第12日の四国対決
炎天下のもと、連日白熱戦が続く甲子園大会。夏季休暇の4日間は、毎日楽しみにして、テレビ画面に釘付けです。本日の3回戦(第3試合)は、済美(愛媛)と高知商(高知)の四国勢の対決となった。両校共に、「日本一になるため四国制覇」を狙っていて、白熱した試合になった。結果はご案内の通り、3-1で済美が勝利し、ベスト8入りを決めた。

高知商は、済美の山口直投手の140㎞台の切れのある投球に8安打しながら1点にとどまった。また負けたものの高知商の北代投手も、山口直の8被安打に対して7本の被安打で、勝っていた。投手としては、2人共に今年の大会の名投手に入ると思う。北代投手自身が、「人生で一番の投球が出来た」と胸を張っていたのに好感を覚えた。

私のように野球王国四国の4商時代を知っている人間には、この高知商の活躍がうれしい。4商は、四国4県の県立商業高校、つまり高松商・松山商・徳島商・伊野商を指して、高知商は高知市立のために入っていないが、公立高校の枠であれば高知商も入れて良いと思う。

ましてや昨今は私立高校が優勢を占め、香川県でも「英明や大手前」が、高知でも「高知明徳」が雌雄を競っている。もう公立高校の県代表の甲子園行きは無くなったかと思いきや、今年は「丸亀城西」が頑張ってくれた。高松商が2回戦で、高高に負けた番狂わせも、大きかった。

何だかんだと曰く付きでも、大阪桐蔭もベスト8入りした。本当に強いチームが勝ち進んでいくものだ。これからまた仕事が入って、野球三昧とは行かないが、まだまだ楽しみな高校野球大会。球児も楽しんでもらいたい。


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| 社長日記 | 10:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
昭和最後73回目の終戦記念日
昭和20年8月15日、天皇陛下の玉音放送がラジオから流れて、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)の敗戦を宣言した。正式な敗戦宣言は、1945年9月2日、USSミズーリ艦上でリチャード・サザランド中将が見守る中、降伏文書に重光葵外務大臣が署名した時となる。しかしわれわれ日本人は、ラジオから流れた天皇陛下の玉音放送「耐がたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」で戦争は終わったと考えている。

私はもちろんこの時代を生きていたわけではないが、平成最後の、戦争を省みる夏がゆくと日経新聞に書いてある。なかなかの名文ではないか。続けて読むと、1943年10月21日、神宮外苑のこの場所で学徒出陣の壮行会が開かれた。何かの報道で、私も知るところであります。折しもここは、2020東京オリンピック・パラリンピックが開催される新国立競技場。

学徒出陣の壮行会で、答辞を読んだ東大生「江橋慎四郎」さんはこの春97歳で亡くなった。「生等(せいら)、もとより生還を期せず」「今や見敵必殺(けんてきひっさつ)の銃剣を引っ提げ・・・」。確か雨の中の壮行式だったように記憶している。何度も言うが、後の時代のニュースフィルムの記憶にすぎないが。江橋慎四郎さんは、戦争をくぐり抜け、戦後を生き抜き、まさに現代史の証人だった。

戦後73年という時間距離は、明治維新から太平洋戦争の日米開戦までに等しい。かくなる時代に、これまで以上に大切になるのは歴史を多面的に見る努力だ。往々にして歴史は、勝者の都合でその後書き綴られることがある。高校の教育課程で、世界史が必須科目で、日本史が選択だという。これを改めて、日本と世界を繋ぐ「近現代史」の科目が登場するとも聞く。

またこの日になると、靖国神社参拝が注目される。安倍晋三首相は、2013年に靖国神社参拝をしたが、最近は近隣諸国に配慮して参拝は控えている。諸外国との無用な軋轢は、外交上避けるべきだという意見が多いが、一方「靖国で会おう」と約束して散った戦士の無念を思うと、「みんなで靖国神社参拝を」という国会議員団の参拝が正しいのかも知れない。

私は過去にも小欄で紹介しましたが、原田伊織著「列強の侵略を防いだ幕臣たち」を読んでいます。「明治維新という過ち日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」「虚像の西郷隆盛虚構の明治150年」3部作だと私は思っています。作品の上梓順であれば、「列強の侵略を防いだ幕臣たち」が2作です。気になって、「虚像の西郷隆盛・・・」を先に読みました。

この原田伊織氏が、極左思想なのか極右思想なのか私は知りませんが、ここに書かれていることは、少なくても文部科学省の言う「明治維新」ではありません。西郷隆盛は、テロ集団赤報隊のボスだと書かれています。テロリスト西郷隆盛、西郷隆盛は稲盛和夫塾長の話しにもよく出てきます。意外な一面が、ここに綴られています。

今年の正月、毎日新聞の「明治維新から150年何がめでたい」という記事に触発されて、この時代を正確に描いた(真偽は分からないが)本を探し出して読んでいる。NHKの「せごどん」も歴史を正確に描いているとは言えないかも知れない。何度も言うが、歴史は勝者が書き換えるものだ。昭和94年の終戦記念日、いろいろ思うところであります。


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| 社長日記 | 12:40 PM | comments (0) | trackback (0) |
高松栗林LC家族例会と8000発の花火共演
高松栗林ライオンズクラブは、本日13日、四国最大級の花火大会「どんどん高松」の8,000発にあわせて、恒例の家族例会(第1340回)を開催した。第1340回例会は15分程で閉会し、L大桃一浩の司会で納涼家族会に移行した。L大桃一浩は私が幹事の年、つまり昨年(平成29年1月)、北村昌史ライオンのスポンサーで入会した2期目の新人。

私が幹事として入会式の打ち合わせに行った際にも、絵里子夫人が傍らに寄り添って私の話を聞いてくれていましたが、今日も隣で仕事をさばいていました。「いつ入会しますか?」と私が度々揶揄するのですが、そのたびにニコニコ顔。笑顔が絶えない奥様(夫婦して薬剤師)です。

家族例会ですから、子どもたちも大勢来ています。常連客は私の顔を見てすり寄ってきます。真弓哲二さんところの男の孫さんですが、可愛いですね。この子らの楽しみが、これからのビンゴゲーム。このところ私は早い時間にビンゴしています。結果今晩も、一番乗りでした。調子がいい時は、最初の5番程度のヒットはありません。最初から当番すると、その後が続かず、残念な結果になることが多い。

また今日は例会会場が、いつものリーガホテルゼスト高松から、県民大ホール6階ギャラリーカフェ シレーヌへ移動。2016-7月~2017-6月まで、浮田和也会長、松野誠寛幹事、北村昌史会計の第54周年の例会会場でした。やはり懐かしいですね。その頃のように、「焼きそば」もスパゲッティも出ていました。私の大好きなB級グルメ三昧。

さてどんどん高松の花火ですが、いつものようにサンポート高松5万トンバースに、国内最大級のクルーズ客船「飛鳥Ⅱ」が入港し、約870人が間近で打ち上がる大輪の花火に酔っていたことでしょう。また飛鳥Ⅱ(全長241m、総トン数5万142トン)のライトアップも、岸壁から見る人を下から上へ、二段で楽しませたことでしょう。

観客約27万人と、主催者から発表されています。私もこの13日の花火を見に行きますが、コトデンで行くのですが、今年は例年より多かったように思いました。いつものことですがコトデンは、工場で働く従業員までも動員しています。帰り便の切符の購入を訴えています。今のコトデンを見ていたら、倒産した会社とは思えません。

ギャラリーカフェ シレーヌで働く牧野さんらスタッフ、コトデンで大勢の人をさばく工場従業員、勿論顔も名前も存じ上げませんが、DJポリス(警察車両の上からマイクで誘導する警官)。年に一度だけですが、懐かしい人らに会った思いです。そうそう13日はお盆であった。





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| 社長日記 | 10:21 AM | comments (0) | trackback (0) |
蘇る乙女の像いよいよ建立へ現場打ち合わせが始まる
先月中旬、富山県の鋳造所「黒谷美術㈱」へ、平成乙女の像の元像が送られました。この元像は、FRP(小型漁船等)で作られていて、これからブロンズ像へ鋳造されるわけです。作者の萬木淳一氏は、もう一度9月初旬に黒谷美術へ行くと張り切っています。ブロンズ像にも色づけがされるようで、50年も経過すると色もなくなるとは思いますが、完成直後は作家の意志が像に色濃く反映されるのです。

一方完成に向けた現場打ち合わせが、8月13日10時から、萬木淳一氏、太田明彦氏(㈲庵治石彫工房代表)、武藤忠数、そして松野誠寛の二人の教え子の計4人が現場(平池堤)に集まり、今の像を下ろして新しくなる平成乙女の像の建立について議論が進められました。現場は法然寺の墓所に近いもので、何台ものクルマが通過します。中には、「いよいよ出来るんな」という声かけもありました。

今日の打ち合わせの肝は、彫刻家・萬木淳一氏と、石彫工房・太田明彦氏の初回打ち合わせです。今の昭和乙女の像の処分と、新しい平成乙女の像の建立を、盛和塾香川の太田明彦塾生に御願いしました。仕事度返しの太田氏の希望で、お盆休みの今日になりました。それにしても、暑い。どうしても現場でと言う萬木淳一氏の意見で、この炎天下で行われました。





先の打ち合わせで、9月末に平成乙女のブロンズ像の完成。10月の吉日にここで平成乙女の像の建立、11月に除幕式・慰労会が予定されています。発案から4年にわたり続いて来た活動が、平成30年内で完結するというのは、ラストスパートに力がこもります。これまでは「特定非営利活動法人仏生山魂再開発フォーラム」が引っ張ってきましたが、10月にむけて、仏生山町あげての顕彰会を組織出来たらと願っています。

小欄ですでに報告していますが、「滕神社(ちきり)」の協力は得られるように、話し合いが進んでいます。残念なのは、50年前に今ある昭和乙女の像の建設協力者の筆頭にある「松平公益会」の協力が得られていません。私の力不足を深く反省するところでありますが、みんなで建立「平成乙女の像」、文字通り「蘇る乙女像」になれば良いと墓参りで願っています。



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| 社長日記 | 09:40 AM | comments (0) | trackback (0) |
戦前のガソリンカー復活を
少し前の四国新聞ですが、8月11日の地域総合欄に標題の記事が掲載されていました。記事に書かれているように、昭和初期(昭和4年は仏生山町に県立農業試験場が出来る1年前だが、工事は始まっていたように思う)に、高松市仏生山町(当時は香川郡仏生山町)と塩江温泉郷(香川郡塩江町)を結んでいたガソリンカーの〝復活〟を、香川高専高松キャンパス(高松市勅使町)の生徒数名が取り組んでいるという。

ガソリンカーは、戦争中の1941年に廃線になりましたが、当時働いていた高木オーナー(故人一宮町)は、働いていた人は、エリート意識が強かったと聞いていました。今更ガソリンカーですかと、記事に電話番号の記載がある村山淳さんに電話して聞いてみました。私は高松高専の受験に失敗しています。彼らには、憧憬の念が強い。

村山淳さんらは、ガソリンカーの〝復活〟を意図しているわけではなく、状況把握を考えているようだ。学生さんのやることだから、「自由」が一番の教育環境です。こだわりのない、足かせのない中で、いろいろな発想と、アクションに果敢に挑戦してほしい。具体的には塩江美術館に残せる復元車両の完成も、「出来たら」と言っていた。

彼らも予算がないことは十分理解している。高松市に話しても、ガソリンカーの復活は全く考えていないという。私も今「ガソリンカー」か、と思う。むしろ、当時のガソリンカー敷設事情の背景を知りたい。塩江温泉郷(香川郡塩江町)の温泉も、古い名泉ではあるが、松山の道後温泉のような圧倒的な人気もない。

昭和初期の日本で考えられることの一つは、「陸軍強化」。通勤通学の便や温泉湯治客への足の提供など、私は次の次の目的だったと思う。先に書いたように、昭和5年に、香川県営仏生山農業試験場が開場している。恐らく開場までに2~3年は係っただろうから、昭和4年に開通した「ガソリンカー」との関連はどうだったのだろう。

仏生山駅と塩江温泉郷(香川郡塩江町)の間、約16㎞を想像ですが、今のクルマで20分程度。ガソリンカーであれば30分係ったとしても、今はレトロとして受け入れられるかも知れない。しかし今も名前の残る「ガソリン道(県道仏生山駅平池線)」は一般自動車としてマイカーやバスの往来が多い。自転車も多い。ここに軌道を敷くとなれば、これは大変なことになると心配する。

塩江町地域おこし協力隊の、電話対応してくれた村山淳さんら若者、頑張って暑い夏に負けないで、楽しんで下さい。


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| 社長日記 | 08:39 AM | comments (0) | trackback (0) |
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