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自宅療養中の身であります上京はしていません
今月7日に、黄斑円弧左目再手術をして、例によって下を向いて生活をしています。当然のことですが、頸が凝って痛くて仕方がない。ひたすら下のそれもへそを見るようにある看護師さんに言われたが、別の機会に別の看護師さんは、爪先30㎝あたりの位置でも良いと言う、同じ下には違いありませんが、この二つの指導の結果は、やったことのある者には雲泥の差です。

昨日の小欄に、東京有楽町ビックカメラでの出来事に関しての記述をしていました。このことから私が、上京していると思ったという読者意見があって、私も驚きましたが、勘違いさせる書き方で、本当に申し訳ありませんでした。術後の療養もあることから、原稿も「タメ稿」をいくつか用意してありました。有楽町ビックカメラの内容も、その中の一つでした。

今月7日に再手術をした左目の術後ですが、一週間(医療用ガスが抜けるまで)は、飛行機搭乗禁止であります。手に、ガスが注入されているというからという注意書きが、はめられています。翌8日と11日の診察を受けましたが、目の中にガスが残っていて、その結果未だに成否の判断がされていません。先の手術では翌日検診で、「よさそうだ」と言った医師も、今度はさすがに慎重です。

14日(木)に、術後1週間検診があります。このあたりになると、ガスも適度に消えて、結果がはっきりすると思います。二度目は挑戦しましたが、流石に三度目と言われたら、今度はどのように答えるか、自分のことではありますが、決心がつきません。弱い自分であります。





さて本日のネタですが、大川周明著「日本二千六百年史」新書版です。著者は、昭和戦前の国民に多大な影響を与えた思想家。熊本第五高等学校を経て東京帝国大学に入学し、インド哲学を専攻する。拓殖大学教授などを努める一方、アジア解放・国家改造の実践に奔走、軍部に接近し、革新将校との結びつきを強めた。

昭和7年、五・一五事件に連座し禁固5年の有罪判決を受け服役。昭和12年に出所すると、すでに勃発していた日中戦争から、さらに日米戦争へ突き進まんとする国家的気運の中で、アジア主義・日本精神復興を軸とする言論活動を精力的に展開、同14年(15年が皇紀2600年)に「日本二千六百年史」を上梓するや、官憲の弾圧を受けつつも、たちまち数十万を売り尽くすベストセラーとなる。

戦後、日本思想界の象徴と見なされ民間人ながら、東條英機元首相らと共にA級戦犯に指定されたが、精神疾患を理由に釈放される。晩年は農村復興運動などにも従事、昭和32年、72歳で死去。この本は、日米両政府が発禁にした歴史書の新書版です。



はっきり言って、読みにくい。ルビーを振ってある漢字も、意味が定かでない。昭和14年の同書は、もっともっと読みにくいものだったと想像する。それでも、よく分からないがなぜか面白い。この本自体は今年、2017年10月1日に発行されたものであります。新聞広告で見て、読んでみました。

その一部を紹介してみます。第24章、「徳川時代の思想界に於ける新精神」の中で以下のような記述がある。
ここに極めて吾人の注意を惹く一事は、徳川幕府に於ける政治家は、真実の政治家たる資格として、必ず哲学並びに史学を修めねばならぬと考えていたことである。吾人は之を今日の政治家と対比して、その甚だしき懸隔(けんかく:かけ離れていること)に驚く。今日に於いて哲学・史学は、ほとんど政治家の顧眄(こべん)だもせざるところ、時としては嘲笑の的とさえするところである。

しかるに徳川時代にありては、一国政務の局に当たる程の者は、必ず儒教によって確乎たる世界観及び人生観を学び、史学を修めて治乱興亡の跡を諳(そらん)じたる人であった。徳川時代の政治家が、経史の二学、之を今日の言葉で言えば哲学と史学とを修め、以て政治に最も必要なる社会現象に対する総合的判断を下すに足りるの素養を作らんとせることは、最も勝れたる心懸けと言うを憚(はばか)らぬ。プラトンは二千年の昔に於いて、政治家は哲学者ならざるべからずと道破した。

ご覧のように一部を紹介しても、骨が折れる文章であります。ただなんとなくですが、言わんとすることが伝わります。いみじくも議員年金の復活を、まず地方議員からやろうという国会議員の忖度が始まっていますが、議員のなり手がいないなら駄目だとは言いませんが、程度ものにしておくことが肝要ではないでしょうか。


| http://www.0011.co.jp/company/diary/index.php?e=3986 |
| 社長日記 | 11:02 AM | comments (0) | trackback (0) |
ビックカメラが主催するLUMIX WORLD
少し前の今月5日のことですが、有楽町ビックカメラでプロカメラマン森脇章彦氏のセミナーが45分、開催されていました。館内アナウンスで知った私は、昼食抜きを覚悟して、B2Fカメラコーナー特設会場へ行ってみました。氏の薦めるカメラは、パナソニツク製のLUMIXです。ちょうど私は、小型のDMC-GF7を常に携帯リックに入れています。

シリーズの中にあっては小型ですが、いま主流のスマホーに比べたら、かさばります。このルミックスの前は、ライカのカメラを使っていましたが、修理に6万円かかると言われて、修理をやめて、ある人のアドバイスでルミックスを購入しました。このパナソニツク製のLUMIXのレンズは、ライカ製だと聞いています。

プロカメラマン森脇章彦氏は、1956年岡山県出身。写真家コマーシャルフォトを中心に、高価な宝飾品から女性ポートレートまでこなし活躍!また、カメラ専門誌なので執筆活動も行っており、独特の「辛口」批評が読者から好評を得ている。特にデジタルカメラは、創成期から積極的に仕事に取り入れ、画質の良し悪しについての「影のご意見番」と呼ばれている。



以上は、パナソニツクの公式ホームページに掲載されているコメントですが、確かにプロカメラマン森脇章彦氏はルミックスを絶賛していた。私もカメラは好きで、フィルム時代にはニコンを愛用していました。ニコンのレンズに、その魅力を感じていました。もちろん全自動撮影の前の時代です。その頃はニコンをはじめ、キャノン、オリンパス等光学系のメーカーが、優劣を競っていました。

デジタルカメラになってからは、カシオとか、それまで言われていた光学系カメラメーカ以外の電気系カメラを使いました。今のように、スマートフォンのカメラを使うという選択肢はもちろんありませんでした。そのせいか、今でもスマホーのカメラプラス、デジタル小型カメラを持ち歩いています。

プロカメラマン森脇章彦氏は自分が撮影した写真を見せて、このようにLUMIXは優れているのだと賞賛します。そのために有楽町ビックカメラのLUMIXコーナーに呼ばれていて、3度のセミナーを土日の6回こなすのだと思います。私も同感ですが、カメラは大きいものが優れているのは現実です。レンズが光を集める仕組みの核となるのは、今も昔も同じ。

従ってLUMIXも大型機が良いのですが、日常でリュックに入れて持ち歩くとなれば、今のこのサイズが極大です。もっとカメラマニアならそれも出来るのですが、パソコンなども入れているリュックは、もうぱんぱんです。またカメラの善し悪しも大切ですが、その性能を最大限に発揮するカメラポジションのセッティングも、大切だと常日頃感じていました。

これまで誰にも教えられることなく、大体のセッティングで使っていました。ここで私は、新規購入者にはカメラポジションのセッティングをするという森脇章彦氏に無理を御願いして、持ち歩きのDMC-GF7のセッティングをして貰いました。これまで使ったことのない機能も出てきて、暫くこれを使うことになると思います。


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| 社長日記 | 09:35 AM | comments (0) | trackback (0) |
高松市の特定空き家に対する初の撤去命令
高松市は1日(2017年12月)、放置すれば倒壊の恐れの高い「特定空き家」1件(高松市扇町)について、空き家対策特別措置法に基づく撤去の命令を、同日付で所有者側に行ったと発表した。同法に基づく命令は、香川県内では初めて。来年1月末までに撤去されなかったら、行政代執行により市が強制撤去することになる。

高松市によると、対象の特定空き家は、扇町1丁目の木造2階建て長屋で、5軒が棟続きなっており、延床面積は約225㎡(約68坪)。築後40~50年とみられる。所有者の女性は、約30年前に亡くなっていて、市が昨年6月以降、相続権がある女性の孫3人に指導、勧告を重ねたが、対応が進まないため、命令に踏み切った。

解体費用は800万円程度と想定され、市が強制撤去した場合は、所有者側に請求することになる。請求額に金利を付すのかまでは発表されていないが、現行民法では原則5%の金利を付すと規定されている。このように市町は、空き家対策特別措置法に基づき、市町舎内にある「固定資産税台帳」「戸籍」等の利用が出来るようになった。また登記事項は「職権」で、登記謄本(登記原因証書)が取得できる。

これまでは個人情報保護法から、固定資産税台帳の部外者利用は庁内にあっても固く禁じられていた。そのために、市井に空き家が散見されても捨て置くしか方法がありませんでした。市役所と私は、立場が当然違います。まだまだ使えそうな空家でも、真の所有者が分からないために、これまで商品価値があるのに惜しいなと思いながらも、手をこまねいていました。

ところが最近は、政府や県市町の動きが積極的になったもので、われわれに「どうしようか」というアプローチが向こう(真の所有者)から出てきました。まだまだ使える空家は、賃貸にするとか売却するとか選択肢はあります。もっとも、街中の鉄筋コンクリート造のペンシルビルは解体費増大から、売却してもお金が残らない、逆に追い金をして解体という現場もあります。地価が異常に下がったための、逆転現象です。

鉄筋コンクリート造の街中ビルはさておき、郊外にある戸建て住宅は、売却も可能です。確かに価格は下がっていて、宅建業者も「商売にならない」とうっちゃっていましたが、社会正義からすれば、隣地所有者が購入するとか、利用価値は必ずしもゼロとは言えません。斡旋も、大変意義のあることです。

こんな状況から国土交通省は、来年1月1日から、売買価格が400万円未満の物件の仲介報酬は、一律18万円+消費税の報酬受領を認めると発表しています。これまでの報酬規定では、売買価格が200万円以下の上限報酬は5.4%(消費税含む)つまり10.8万円にしかならず、手間暇ばかりかかると敬遠されていました。

住宅価格は、最近値下がりが止まってきました。住宅の本来価値は、「快適空間」であるはずです。既存(中古)住宅を購入して、リフォームするという流れが一気呵成に広がると思います。

また最近表出した意見ですが、報酬規定は上限を決めているに過ぎず、それを支払う義務はないと言う意見がお客様からあったそうですが、弊社社員は、「満額もらえない仲介はいたしません」と即答したそうです。「あっぱれ」、宅地建物取引士に資格名称が変更後、国土交通省は更なるレベルアップを求めていて、われわれはそれに対峙しています。誇りを持って、上限を御願いする次第であります。ご理解のほど。

過去の小欄記事

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| 社長日記 | 07:42 AM | comments (0) | trackback (0) |
整理整頓の極意by植木義晴JAL社長
12月号JAL機内誌「スカイワールド」に、植木義晴氏の挨拶文があります。毎号の巻頭を飾るものですが、今月は年末年始の大掃除から、本棚の片付けまでに話題が広がっています。几帳面な植木義晴氏は、自宅の大掃除をしてから、年末最終フライトへと向かうそうです。

服や靴なども、新しい物を一つ買えば一つ捨てる徹底ぶり。余分な物は何一つまわりに置かない。これは彼の職業に、原因がありそうだ。植木義晴氏は今はJAL社長ですが、前職は同社のパイロットです。緊急事態に、マニアルを読んでいる間はありません。瞬時に最善策を出さないと、危険な状態に陥る。稲盛和夫塾長の言う、「有意注意」です。

これまで頭の中に備えてきた「知恵」を使って、最善の判断をするしか助かる方法はないのです。マニュアルなど、覚えるべきことはすべて一通り頭にたたき込みますが、記憶の容量には限りがあるので、厳選しきったものだけを身につけ、不要なものは捨てるということをくり返し、「知識」をさまざまな場面で応用が利く「知恵」に変えて記憶すると書いています。

これは、先日盛和塾香川での講演、脳科学者・岩崎イチロー氏の言葉と同じです。記憶力は、若い者には適わない。しかし脳は、死ぬまで成長する。まさに、知識を知恵にして蓄積しているのが脳です。すぐに取り出せる引き出しに入れておくことも、とても大切なことです。

下段の本棚の所は私と逆で、私は植木義晴氏の奥さんと同じように、本は捨てられません。増えるばかりです。やがて会社の本棚が使えなくなると、もう持ち帰るスペースがわが家にはありません。押し入れ一つを全部本棚にしていて、そこはもうほぼ一杯です。去年末、オイスカ寄贈のために段ボール3箱分抜きましたが、期待する効果は得られませんでした。

植木義晴氏は結果、自分が大切にしていた漫画シリーズを全部捨てることになったようです。トホホと氏の愚痴が聞こえて来そうですが、稲盛和夫塾長は、怒り・欲・愚痴の三つを三毒と言い、これを慎むことだと言うのですが、私にはまだまだ三毒からは逃れられそうもないのです。

植木義晴氏も盛和塾世界大会や東日本忘年会(東京)へは、顔を出すことがあります。残念ながら今年の忘年会は、術後療養(目に医療ガスが入っているために、下を向いて暮らす。飛行機禁止も)のために出席が叶いません。西日本忘年会(大阪)も、日程が合いません。ここは諦めて、静かに師走をおくります。塾長追っかけの皆さん、来年はお目にかかります。


| http://www.0011.co.jp/company/diary/index.php?e=3983 |
| 社長日記 | 08:10 AM | comments (0) | trackback (0) |
富岡八幡宮に関する過去の小欄記事
7日夜、東京江東区で男女2人組が、富岡八幡宮の宮司ら2人に対して日本刀で切りつけ、宮司の富岡長子さんを刺殺、切りつけた弟の元宮司と女が自殺して3人が死亡。富岡長子さんの運転手も、女に片腕を切り落とされる等の重傷を負い、神聖な神社の周辺は、神に仕える者同士の修羅場と化した。

富岡八幡宮は、地下鉄東西線「門前仲町駅」から徒歩数分の所にあります。過去に天皇皇后両陛下が見学されたことがあるほどの、下町の由緒ある神社の一つです。江戸三大祭り一つ、「深川八幡祭り」別名「水掛祭り」でも知られる神社です。私も何度か立ち寄りましたが、綺麗な神社だったと記憶しています。

報道でも、「すもう」との深縁は言われていましたが、伊能忠敬(いのうただたか)の顕彰碑があることは、触れられていません。下に過去の記事を貼り付けておきますが、私はこの伊能忠敬という人物に、大変興味を持っています。50歳頃まで商売(経営)に専念し、隠居してから測量の勉強をしてあれほどまでの精巧な日本地図を作った偉人です。

西洋人もこの地図をほしがったそうですが、当初は自費で測量を始めたのですが後半は幕府からの費用提供で、「国禁」とされて厳重に管理されるほど正確な地図だったと言われています。彼はこの富岡八幡宮の一角に居を借りて、測量の準備を整えて、ここから出発したのです。ある意味では、この富岡八幡宮が日本地図誕生の聖地か。

そもそもは、「田所味噌ラーメン」を食べるために門前仲町駅を下車して、偶然富岡八幡宮を知り、その中に記載されていた記述で、伊能忠敬との縁を読み、ここで伊能忠敬の記念館を知り、別の機会ですが千葉の記念館を訪ねたことがあります。搭乗時間の関係で、たどり着くことが出来ませんでしたが、いつの機会か「伊能忠敬記念館」へ行ってみたいと願っています。成田新勝寺の、さらに向こうに記念館はあります。

残念ながら「門前仲町駅」の「田所味噌ラーメン店」は、今は閉店しています。都内にはないのかも知れませんが、千葉・行徳にはあると思います。また海外へもラーメン食材を提供するなど、田所史之氏(盛和塾東京)は積極的です。花田雅江さんとの再婚も、彼の背中を押しているのかも。あー余計なことを

富岡八幡宮と田所味噌ラーメン

富岡八幡宮内伊能忠敬の顕彰碑

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| 社長日記 | 09:16 AM | comments (0) | trackback (0) |
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