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新宿ラーメンの名店「満来」と「ほりうち」両店の新橋支店
新宿に、ラーメンの「満来(まんらい)」と「ほりうち」があります。新宿ハルクの先、西新宿1-4-10にあります。満来が親で、ほりうちが子の関係です。この両店へはここ暫く、もう4~5年になりますか、行く機会がなくなりました。東京は羽田空港から神田駅のラインでの移動が多くて、新宿方面は足が遠のいています。その名店の、新橋支店がJR新橋駅近にありました。

満来の新橋支店は、今年9月に閉店しました。段々お客が増えていたのに2年余の閉店は残念です。閉店になってから、「ほりうち」の新橋支店が駅近にあることを知りました。11月の初旬、探して行ってみました。店は、JR新橋駅西口から徒歩2~3分。新橋西口商店街の一角にありました。大きな店ではありませんが、働く人が多いとまず感じました。

お昼時ですから、人の出入りは頻繁に。本店と同じ様な自販機の前で、メニューと価格を見ます。満来新橋支店(閉店)の1,000円に比べて、750円と安い。私は並盛りでしたが、大盛りも同じ値段かも知れません。違っていたらゴメンナサイ。満来は1,000円でしたが、量は大盛りで、残していました。本店は過去のことですが、850円でした。

同じようにつけ麺を食べましたが、ほりうちの勝ちですね。カウンター越しに大将と話をしましたが、ダシは似ていますが、麺がもちもちでこちらに軍配が上がります。私の昼は、ラーメンか有楽町駅前の「たもや」のうどん。銀座のハヤシライスもありますが、いずれにしてもB級ランチです。

そして幸か不幸か、神田の全宅連会館での委員会は、昼食が提供されます。日下雅彦会長はそばが好きで、神田のそばを食べるために、弁当は職員に譲ると話していました。私はそこまでの勇気もなく、それほどまでに、日本そば(やぶそば等)でなくてもいいのです。

そうそうJR神田駅近くの有燻酒蔵も、九州の味を楽しく提供してくれていますよ。


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| 社長日記 | 03:25 PM | comments (0) | trackback (0) |
今まで誰も教えてくれなかった人前で話す極意
炎の講演家!鴨頭嘉人さんが、「年間330講演プロの講演家が語るスピーチのコツ」と副題のついた本を「かも出版」から上梓しています。「かも出版」は、自分の会社でしょうか。話し方学校を経営しているようで、そこの印刷も担当して、出版会社を併設しているのかも知れません。確かに鴨頭嘉人さんは、アイディアマンです。同時に、実践の人でもあるようです。

私は10月に、商業界中四国セミナーで彼の講演を始めて聴きました。なるほど自らを、「炎の講演家!鴨頭嘉人」と呼ぶだけに、明るく元気の出る講演でした。氏はまず、講演で稼ぐ。次に会場で本を販売し、サインもする。



本の中で、書いていることの内容に関して、実際の場を動画撮影してユーチューブ(誰でも無料で動画投稿できるサイト)に、アップしたURL(ネット上の住所)を本の中で紹介する。そして喋ることが苦手の人が、東京・大阪・名古屋でやっているという話し方学校へ来る。ここでも、小中高大といったコースがあるようで、大を卒業する頃には、信者になっている?そしてまた講演会へ来る。という善循環を作っている。

本の内容は、これは評価に値するものでした。まず自分が働いていたマクドナルドでの話から入り、タクシードライバーは困っている人を助ける「スーパーヒーロー」と持ちあげる。清掃員もそうですが、3Kと言われるような人のいやがる仕事に「価値」を見いだし、「Happy Mileage」カードを渡し称えます。

特に私が参考になったと思うところは、講演会などで使う「パワーポイント」の使い方。以前久保喜治さんの注文で、「言ったことを書いてよ」と言われて以来、話す内容を箇条書きにしてスクリーンに映していました。こうしたことは、聞く側のメモをとる労力削減にはなりますが、果たして話の内容が伝わるかどうか。

鴨頭嘉人さんは、話す内容は書くなと言っています。それからもう一つ、講演原稿ですが、「トリガー原稿」と「フル原稿」の違いに言及しています。稲盛和夫塾長は、2時間講演でもフル原稿です。彼の講演は、要点だけを箇条書きにした「トリガー原稿」とのこと。以上の二つが印象的でした。近々、どこかで使ってみたいと思います。


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| 社長日記 | 08:53 AM | comments (0) | trackback (0) |
島原ライオンズクラブ結成60周年記念式典&祝宴
長崎県島原ライオンズクラブとは、26年前の普賢岳噴火渦からつきあいが始まり、その2年後に友好クラブの契りを交わしました。普賢岳の噴火で、落ち込んでいる小学生を高松冬のまつりのイリュミネーションで輝く夢と希望の世界へ誘いたいと、高松栗林ライオンズクラブが仕掛けたものです。

先にも書いたように私が幹事で、その大役を担って島原へ来ました。会談の舞台は、今日の式典と同じ、南風楼でした。ここのオーナー村中さんが、当時のゾーンチェアパーソンをされていて、四国キャビネットからオファーを出して、彼は断れず「とりあえず会おう」と言うことになりました。

その相手中心メンバーが、島原LCクラブ内教育委員会の委員長だった、松尾錦二さんでした。彼はJCのメンバーとして、子ども派遣の難しさを経験していました。この時も、「万一のことがあったらどう責任をとる」と先輩会員に詰め寄られたそうです。そのくらい島原の被災生を、高松へ呼ぶことは、至難の業だった訳です。

無事に子どもらを高松から送り出し、私もほっとしましたが、二日目の食事時に、高松北警察から飛び入り慰問がありました。新聞で島原の子らが高松へ来ていると知った彼らは、当時の宿泊所JT研修所へ来てくれました。これには高松栗林LCメンバーも、びっくりしました。勿論子ども達は突然のサンタ登場で、大喜びでした。

時の浅田善太郎会長は、眠れなかったと思います。構想は素晴らしいものでした。災害で落ち込んでいる島原の子ども達を、イリュミネーションで輝く高松へ連れてくるのです。島原LCのメンバーは、公選で四国へ来る子を選んでくれていました。校内で送り出し式をして、バスは予定時間に島原を出発しました。ここから、福岡空港までの行程です。

バスで約3時間、福岡空港から空路1時間で高松へ入ります。当時は東亜国内航空でした。高松支店長が高松栗林LCのメンバーであり、稟議書を書いてくれて、大人半額、子ども無料でした。これはあくまでも結果論で、私が南風楼へ行った時は、「金の心配はするな」と浅田善太郎会長に言われていました。この強気に私の馬鹿さ加減が上乗せされて、頑固一遍の島原組を説得出来たのだと思います。

予定通り高松空港へ到着した飛行機から引き継いだのは、「平井タクシー」の編隊でした。これもいろいろな場面を想定し、ルートも1~3考えてありました。そして私の責務は、時間までに島原の子ども達を冬のまつりの舞台に立たせることでしたが、どうにか予定通り、舞台の中心に彼らは立って、スポットライトを浴びていました。

こんな過去の思い出にいつまで浸っているのも馬鹿の骨頂ですが、島原へ来たらどうしてもこの話題が中心となります。髭の鐘ヶ江管一元市長も、チャーターメンバーとして健在です。島原LCは、過去の130名が現在80名になったと言いますが、高松栗林LCも26年前の私が幹事の年は88名いました。言い訳をせず、一人ひとり理解者を増やすことです。

今回島原へ来て、私はおおいに反省しました。昨年11名をクラブとして入会させましたが、こんな機会に新人の多くを誘うべきでした。旅費宿泊費を負担してやっても、こんな機会にライオンズクラブの何たるかに触れて貰うべきでした。熊本で有名なブルーシャーへ連れて行くとか工夫も出来ず、私は、まだまだ未熟な人間でした。おおいに、反省した次第です。







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| 社長日記 | 10:07 AM | comments (0) | trackback (0) |
島原ライオンズクラブ結成60周年姉妹・友好・提携クラブ懇親会
1991年は平成3年で、昭和のバブルが崩壊していた頃ですが、田舎ではまだまだ好景気が続いていました。その6月、島原市内の普賢岳が噴火をして、騒ぎが始まりました。島原LCのメンバーは、BBQをしていたそうです。その年の12月、島原第四小学校の生徒が、第5回高松冬のまつりのメイン舞台に立っていました。

私は当時の幹事で、子どもの派遣を依頼するために、夏の暑い日島原LCへ平井大資さんと一緒に来ました。L浅田善太郎会長は、「お金のことなら任せ」と言うもので、強引に御願いをしました。今日も「迷惑だった」と正直にいう、松尾錦二委員長の言葉の通り、島原LCは正直断りたかったと感じました。高松栗林LCから私と平井大資さん、島原LCからは10名ぐらいのメンバーでした。

最初は、子どものことですからPTAのチャンネルで派遣を依頼していましたが、時間の経過にいらだち、ライオンズクラブの人脈に切り替えました。地元四国地区キャビネットを通じてリジョンチェアマン・ゾーンチェアパーソンを訪ね、依頼しました。相手の島原LCに、ゾーンチェアパーソンがいて、「とりあえず話を聞こう」となりました。

こんなことがご縁で、私は島原というと必ずここへ来ています。島原LCは今年が60周年で、姉妹クラブは韓国から、国内も福岡行橋・京都福知山・大分豊後高田・高松栗林と幅広いつきあいをしています。福岡行橋ライオンズクラブからは25名の参加です。高松栗林は私一人。明日の式典には3名が、参加してくれます。





今日の圧巻は、島原商業高校のマーチング演奏でした。高松商もブラスバンドやマーチングが活発ですが、ここも元気です。笑顔が良いですね。女子ばかりかと思いますが、指導先生も女性です。私は目の手術のせいか、涙が溢れて来て、なぜだかよく分かりませんが涙が止まりません。舞台もホテルのものですから、十分な広さはありません。



後半ではベリーダンスが出てきましたが、この高校生の笑顔と自信に溢れた姿は、熟女も勝てません。今日は提携クラブと島原LCのメンバーで、総数120人。明日は300名と言うから、やはり島原LCは凄い。高松へ子どもを送り出した頃は、130名の会勢で、今は減ったと言いながら80余名。島原は一市一クラブです。だからJC卒業生は、ライオンズかロータリークラブへ。

今日はこの後二次会三次会と、ホテルへ帰ったのは文字通り午前様でした。運転手さんも心得たもので、あの人の最後はあの店だとか、島原は小さな商圏ですが密度が濃いつきあいをしています。明日は、11時から記念式典が、南風楼でおこなわれます。



| http://www.0011.co.jp/company/diary/index.php?e=3954 |
| 社長日記 | 09:20 AM | comments (0) | trackback (0) |
麺匠くすがみは竜雲うどんとほぼ同じ
ライターの萬谷純哉さんが、仏生山コミュニティーセンター長十河寛敬氏の紹介で、アポイントメントをとって、そして訪ねて来ました。私が元麺職人で、仏生山町の素麺・うどんについて聞きたいと言って。彼は高松商卒で、「さぬきうどん未来遺産プロジェクト」の事務局をやっているとのこと。株式会社はなまる内に、事務局があるようです。

名刺裏には「さぬきうどん未来遺産プロジェクト」とは、香川の誇る偉大な食文化さぬきうどんの忘れ去られつつある過去の真実を徹底発掘しようという、「さぬきうどんの歴史編纂プロジェクト」です。香川に生まれ育ったお年寄りたちの頭の中にある「讃岐うどんの過去のシーン」を、一つ一つ丁寧に集め、膨大な数の証言ベースの「さぬきうどんアーカイブ」を作ろうとしています。

名刺の住所は、東京日本橋のはなまるうどん本社内となっていますが、日頃は高松市内に住んで、県内の麺事情を探求し続けているようです。今のことは流石によくご存じで、過去の歴史と交換に情報のやりとりをしています。私も「うどん」に関する話は嫌いではなく、時間があっという間に経過します。

最近の話題として、新店の情報をくれました。私たちが麺業を廃業した後に、後継として頑張ってくれている社会福祉法人「竜雲うどん」の責任者の野口さんが、関東で本場さぬきうどんを提供してきた土居さんと組んで、「麺匠くすがみ」を開いているという情報です。野口さんが抜けた後は大丈夫かと思いますが、「竜雲うどん」はもうすっかり定着しています。心配ないでしょう。



「麺匠くすがみ」は、その名の通り高松市楠上町にありました。栗林公園正門からまっすぐ東へ通じる県道があります。コトデン栗林公園駅前を抜けて、市立第一高校の横をまだまだ東へ。楠上町のマンション群を右に見た左側にあります。御坊川の手前です。駐車場も10台以上あって、入りやすい店構えです。中へ入ると、うどんの普通店です。

ここでも「竜雲うどん」と同じように、少しの知的障害がある従業員が働いています。そのため中外とも、働く人の数が多いのが特徴です。中はうかがい知れませんが、外は竜雲うどんとよく似ています。ただ畳席は、掘りコタツ風にアレンジされています。これは楽で良いですね。注文を聞いて、うどんが出てきます。



私は、「坦々うどん」を食しました。当然と言えば当然ですが、味は全く同じです。それに柳萬信子さんが伝授した、「和風ラーメン」もメニューの中にありました。正直竜雲うどんは仏生山町ですから、街中から外れています。ここであれば街中の人も、あのうどんつけ麺を堪能できるのではないでしょうか。間違いなく、うどんの名店の一つになるでしょう。

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| 社長日記 | 09:16 AM | comments (0) | trackback (0) |
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