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入院2日目の出来事 4/sep/2010
入院が脳神経外科であるため、食事等の制限は緩やかです。今は月曜日の手術に向けて、粛々と待つだけです。また外出外泊も許されるため、近ければ自宅へ帰ることも考えましたが、外出程度にとどめています。

今日はお昼にラーメンを食べたいと決意して、病院を後にしました。次男が大阪市内で建築分譲現場を担当しているというので、そこを見に行きました。大阪も地価を聞くと都会ですね。住宅と商業が混在しているところですが、地下鉄駅から徒歩1分で、土地建物総額3,000万円から3,500万円ほどするそうです。

都会の給料が良いと言ったところで、年収800万円貰える人はそう多くはないでしょうから、5倍の4,000万円までなら支払可能と言われていますが、何が起こるか分からない昨今です。住宅にかける費用は、毎年の固定資産税等の支払も含めて、年収の2割までに留めたいものです。この支払は、就労中全期間を通じて支払うくらい、実に長いものです。

名古屋周辺の中部圏では、定期借地権マンションが新築分譲されています。私はこの発想を、高松市内で「戸建て住宅」に当てはめて分譲を始めていますが、この賛否はまだ出ていませんが、大阪市内の戸建て分譲住宅の販売も、なかなか辛抱がいる仕事のようです。店頭に来て下さる仕事のありがたさを、今次男は痛感しているそうです。

また大阪梅田駅にとって返して、デパートやロフトへ行ってみました。やはり同じ機能の品でも、デパートが高いですね。ものが違うとも感じますが、サービスも違いますね。私のようなデパートなどほとんど行かない客層にでも、店員さんは親切丁寧に教えてくれます。そして苦し紛れですが、「よくお似合いですよ」と一言を忘れません。

また病院へ帰って、シャワーを浴びて、門限まで外出です。近くのスーパで、フルーツを買い求めました。驚きました、袋がありません。ロフトの袋や、デパートの袋を使って、スイカなどを入れました。高松とエコ感覚が違います。エコバックも売っていそうにもなくて、何とかしなくては。

ところで明日の晩から禁酒ですから、今日は良いだろうと、居酒屋へ行きました。早速内外(店の人とお客様)の方と話友達になりました。また必ず来ますと、約束をして店を後にしました。門限です。


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| 社長日記 | 07:12 AM | comments (0) | trackback (0) |
入院初日の出来事 3/sep/2010
この原稿がネットに上がる頃は、頸椎手術(首の骨)が無事終わり、療養を始めた頃だと思っています。それまでは、社内でも「避暑」ということにしています。毎日日記を書いていると、このようなアクシデントは、困ります。

今朝は6時に自宅を後にして、病院へ向かいます。入院時間が指定されていて、当日の移動は、早朝からぎりぎりの時間です。それでも入院荷物を後便で運んでくれるため、いつもの鞄一つにパソコンを入れての移動です。

入院と手術について、詳しい説明がありました。DVDを見たり、署名をしたり、CT検査をしたり、なかなか忙しい初日です。担当医の説明は、2人で別々に行われました。家族も一緒に話を聞きます。

看護師も挨拶に来て、検温、血圧測定やら、手際よくこなします。看護専門学校生もつきます。かわいい女子学生さんです。彼女の了解が得られれば、その内に紹介します。

今日は親子4人が、久しぶりに揃いました。外出許可を得て、食事をしました。こんな時でなければ、なかなか会えないのは残念なことです。子供2人はまだ独身で、孫の顔はまだまだ先の話のようです。なかなか自分の思い通りには、事が運びませんね。


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| 社長日記 | 07:00 AM | comments (0) | trackback (0) |
2010年8月月例社員総会
月例社員総会です。8月の結果の反省会でした。併せて6月までの第28期の決算について、藤本博之税理士から皆に説明がありました。棒グラフが、私を含めて、分かりやすかったと思います。出来る限り、情報は開示して、みんなに考えて貰える組織にしたいと考えています。

盛和塾でも堅い話の後は、コンパをします。思わしくない数字を見ながらのコンパは気乗りがしませんが、それでも胸襟を開き、次へつなげる会話になります。特に昨今は、イレギラーが多すぎます。社員のせいと言うより、状況の変化が激しすぎます。

もっとも不動産業界は、人の営みの「衣食住」のひとつを司ります。従って人の動き、特に心の動きに左右される業界です。それを鬱陶しいと思う先輩は、「賃貸などちまちましていて」と毛嫌いをしますが、「ちまちま」は1億円の売買でも同じだと思います。

今不動産業界は、右肩下がりの、文字通りデフレ経済の象徴的存在でもあります。高松でも最高路線価が、一坪2000万円と言われていた地価が、今年は100万円を切っている状態です。ピークの20分の1ですが、住宅地はこれほどまでではないものの、押し並べて下落しています。

仲介報酬は価格に左右されます。つまり1億円より1000万円の媒介報酬は、一桁違ったものになります。昭和45年に建設省令で決められた報酬規定が、そのまま今日まで続いています。売る方もがっかりですが、不動産業者も、税務署もみなしょんぼりしています。

価格だけの話であればまだしも、売買契約でも、賃貸契約でも、不動産価格の下落が、生活者の首を絞める現象が続いています。3000万円超で十数年前に買った住宅が、今売るとなると1500万円ほどです。売るにしても、手持ち資金を投入しなければ、売却もままなりません。

私はこの業界が好きで、人の営みの軌跡をまぶしく見ていますが、賃貸価格も最安値を記録しています。そして部屋あまりです。この現象がこの後永遠に続くとは思われませんが、傾向は厳しいものがあります。それでいて、賃料が安くなって、滞納者が増えているのです。

滞納者も家賃を滞納するくらいですから、万策尽きた状態であることはまず間違いのないことですが、それでも開き直って居座っています。近くのお寺の軒下で暮らすという謙虚さは、微塵もありません。おまけに滞納督促で脅迫されたと、警察に訴えます。

催促した不動産業者や大家が、警察で事情聴取を受けて、検察に送られます。それでも私は、市井の庶民の生活の一端のお手伝いが大好きです。これからも、飽きず腐らず、この道を究めたいと願っています。まだこの道30年弱、先輩の行く道の半分です。このみちを頑張ります。

ところで明日からの暫く、避暑へ行きます。小欄もほとんど毎日書いていますが、ネットが繋がらないこともあって、2週間ほど休みになります。毎日日課としてご覧になって下さる諸兄も散見されますが、しばしの休息期間をお許し下さい。残暑を厳しい折、くれぐれもご自愛下さいませ。合掌

今月駅前の美食クラブで



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| 社長日記 | 08:02 AM | comments (0) | trackback (0) |
志度ライオンズクラブ例会訪問
7月からの四国中央市キャビネット方針で、他クラブへの訪問が、新たなアクティビティーとして設けられて、傘下のクラブは8月から動き出しています。わが高松栗林LCも、会員会則委員会で計り、2人一組で参加するように行動を始めたところです。

そんな中、池田義幸第1副会長が、義父がこの6月まで所属していた志度LCへ是非お邪魔をしたいと言うことで、委員長の私がおつきあいをすることにしました。志度LCは、松岡豊RCを現在輩出しており、本日も高松空港LCの例会訪問中でした。





私個人としては確か3回目の訪問です。先の2回は、以前の事務所横の会議室でしたが、今回は小松真珠荘(メンバー経営)内の既存建物を改良した新事務所で、広くてとても綺麗な内装がなされています。

メンバーに設計士や内装・設備等の専門家がいるそうで、それぞれが専門分野で個人負担も辞さない価格で工事が進んだそうです。家賃も破格ですよと言われたのですが、市場価格10万円はするところ、3万円程度のようです。

われわれゲストの挨拶も、2人で30分弱程度話しましたが、その他特段の予定がないのか、我々に聞かせるためか会員スピーチがありました。これは心にしみ入るものでした。「原爆体験について」L庵原(いはら)稔の体験談でした。



庵原稔氏は、この春までの2期6年間、香川県農協の理事長をされていた(間違っていたら教えて下さい)この道54年間の農協人だそうです。その庵原さんが7歳の時の話に戻ります。



昭和20年8月6日朝7時過ぎに、最初の警戒警報が鳴りました。それが僅か10分程度でした。今思えばアメリ軍が、原爆投下前の市内写真を撮影していたのでしょうか。そして8時15分頃突然、「ピカドン」と爆撃を受けて、自分は爆風で飛ばされてしまいました。この時庵原さんは、爆心地から1.7キロ先にいたそうです。

暫くして太陽の光が見えてきました。慌てて自宅の長屋へ戻りましたが、長屋は全壊。石塀だけが残っていました。行く当てもなく、親父さんが勤めていた警察へ行ってみました。父親の消息はつかめません。黒板へ「山奥の田舎へ避難する」と書いて、その方向へ歩き始めました。

途中優しく声をかけてくれる女工さんに連れられ、歩いていると、雨になりました。真っ黒な雨でした。着ている白いシャツが、見る見るうちに黒く濡れていきました。随分歩きましたが、やっとその女工さんの実家へたどり着きました。

食事も出して下さいましたが、のどを通らず、夜具もしつらえて頂きましたが、頭の中が混乱していて、とても眠ることが出来ませんでした。そこに3日ほどお世話になっていたところ、長屋の近所の伯父さんが、ここまで探しに来てくれました。黒板のメモが役に立ちました。

電車とバスを乗り継いで、町まで帰ってきました。随分遠くまで避難していたことになります。父母は、信仰していた天理教の施設に収容されていました。顔は真っ黒で、外見では父母と見分けが出来ないほどでした。しかし声だけは、変わらずそれだと分かりました。

被爆から1週間後の12日、父親は他界しました。爆心地の近くで、道路工事の監督をしていた時に被爆したようです。この頃の自分は、雨に濡れた肌がただれて、水疱瘡になっていましたが、生命には異常はありませんでした。

9月20日まで広島で暮らしていました。毎日1食のご飯にありついていました。偶然も重なり、父親の実家のある志度へ電報を打ちました。確かな住所も分からず、それでも打った電報が届いたのか、迎えが来ました。母親と二人して、志度の児玉家へ帰りました。

しばらくして母親と連れ子養子で、新しい生活が始まりました。食べる物は豊富でしたが、愛情はかけらもない家庭でした。中学校へ入り、修学旅行で大阪を知りました。ここで働く決心をしました。義父にもこのことを伝えると、「いや市商(後の志度商高で現志度高校)へ行け」という義父の言葉に、「進学できるなら家業を継ぐためにも石田農業高校へ行きたい」とせがんで、石田農業高校へ進学しました。

2番で卒業する際に、「庵原家」の籍に入れるなら家業を継ぐが、入れないなら家を出て働くと条件闘争をして、ここではじめて児玉稔から庵原稔になり、卒業証書を書き直して貰いました。この時代は結婚をしても、子供の出産など、確かな確証があるまで入籍をしないのが当たり前でした。

ここではわが意を得たりと得意満面でしたが、嫁は親戚の者から、「あてがいブチ」のように押しつけられて、言われるままに結婚をして、今こうして80歳近くまで共白髪です。

昭和31年卒業と同時に農協へ誘われましたが、その時は断りました。その後農業をしていていろいろ考えるところがあり、35年に再度3名の採用枠があると聞いて、応募しました。当然4年前のことを言われましたが、「今農協が必要なのです」と答えて、採用されたそうです。その後は農協一筋54年間勤務して、今日があります。

頼富英機会長帰還

「クラブには6年間例会欠席気味で、心機一転これから埋め合わせをします。」と結んでおられました。痛く感動した原爆体験でした。その後欠席予定の頼富英機会長が飛び込んでこられて、過日の食中毒の始末のため急遽愛媛県へ出向いていたことの説明と、諸般のお詫びをされていました。私は㈱中央社長夫人と縁戚つながりでもあり、ここ一番、一層応援をしなければと感じ入りました。

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| 社長日記 | 07:38 AM | comments (0) | trackback (0) |
2010年夏の総括として
2010(平成22年)はとにかく暑い夏でした。9月入ると、暑いという気象状況が改善されるわけではありませんが、この31日になると、なぜか夏が終わる気がします。挨拶は当然「残暑お見舞い申し上げます」に変わっていますが、私の中では、「翌日からもう秋が来た」と感じがしています。学校が一斉に始まるのも、要因かも知れません。

もっともこの夏の終わりが、物理的にはもっとも夏らしさを記録します。最高気温の30度を超える猛暑日の日数や、25度以下に下がらない真夏日の連続記録も、大幅に更新されたようです。これからまだしばらくは、猛暑が続くことでしょう。

37度ともなれば、体温に相当する温度で、異常と言うほか表現方法がありません。そんななかでこの夏の香川の出来事を、思いつくまま回顧してみたいと思います。主観に基づくもので、記憶にとどめて記録には残さないで下さい。

まず「「瀬戸内国際芸術祭2010」の開催です。高松市は来場者の数に気をよくして、3年ごとの開催を言い始めていますが、これがこの夏の大ヒットではなかったですか。芸術家や外国人など、これまで高松へ来たことのない異邦人が来高されています。また暑さのためか若者の来場者が目立ち、9月からの「大人」の見学者にも期待がかかります。

次に4年ごとの知事選ですが、大方の予想通り、各党乗り合いの浜田けいぞう候補が当選しました。みずから「トップセールス」を自認され、地産品の販売拡大に、大いに期待するところです。欲を言うならば、「あらたな商品・システム・地域」を生み出すことにも力を入れて貰いたいと願っています。

そして雨も多い年でした。夏前の5月6月は、今年ばかりは早明浦ダムの水位を心配することなく過ごせると安心をしたものです。それを7月8月の日照が助け、お米の出来は昨年並みを確保するようです。それでも「米作り名人」に言わせると、風が少なかったもので、籾殻同士が擦れ合うことが少なく、殻が固い米になって、米粒が少し小さいのだそうです。

最後に一つ。24時間スーパー「ハローズ春日店」の工事が始まりました。県道10号線沿い「デオデオ春日店」東側で、来年2月のオープンに向けて、工事の槌音が大きくなります。さらに東側、道を挟んだ隣接地で、「定期借地権付戸建て分譲」を始めたのが、私のこの夏の一大イベントでした。





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| 社長日記 | 08:03 AM | comments (0) | trackback (0) |
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