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熊本から長崎県島原へ松尾錦二さんの見舞い
1987年(昭和62年)にはじまった、高松冬のまつり。第4回目の平成2年(1990年)、雲仙普賢岳の200年ぶりの大噴火で落ち込んでいる島原第4小学校の子供たち23人に、高松冬のまつりのイルミネーションを見せてあげようと、子供らを派遣してくれるようにとの交渉のために、当時幹事の私は、平井大資さんと島原へ来ました。

その時に、島原ライオンズクラブの窓口となったのが、松尾錦二クラブ教育委員長でした。クラブ内の反対を押し切って、公募によって23人を選定し、7人のメンバーと事務局員梅林薰さんを看護師代わりに、夕暮れの高松空港へ到着しました。ここから平井タクシーの出番です。

予定通り、点灯式の舞台に4小の子供らが恥ずかしそうに立ちました。田舎(失礼)の子らは、明るすぎる照明を浴びて、ビックリした様子。この頃はまだ楽しむまでにはなっていませんでした。しかしそこは子ども、すぐに慣れて高松のイルミネーションやうどんを楽しんでいたようです。

この年から互いのクラブ周年毎に、島原、高松と双方が訪問し合っています。今年4月の高松栗林LC結成50周年記念式典へも、島原LCから大勢が参列して下さいました。栗林公園の和船にも乗船し、これが印象に残ったという話しも頂きました。

1994年(平成6年)の高松砂漠の年には、松尾錦二さんと吉田謙治さんの2人が散水車を島原から高松まで運んで来てくれました。これを使って20日間管理マンションへ水を運びました。お礼を込めて、長男賢士と2人して島原まで散水車をお返しに行きました。

いろいろな面でお世話になっている松尾錦二さん。前立腺の障害のために放射線治療をしていますが、1月半ばまでの入院予定が年内に終わるようで、年明けに行こうと考えていたところ、思わぬ機会になりましたが、元気な顔を拝顔して、今年の良い仕舞いになりそうです。お大事になさって下さい。

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| 社長日記 | 08:29 AM | comments (0) | trackback (0) |
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