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焦る心と動かぬ身体と唐十郎84歳死去
令和6年のゴールデンウィークは、昨年もそうでしたが、畑作業に出かけました。昨年は、サツマイモを連休に植えたと記憶しています。この先祖伝来の畑にと言っても、僅か100年ぐらい前からですから大したことはありませんが、祖母から母へそして今では私と妻がやっています。誰に言われたことでもありませんが、自然とやっています。

今日は5月5日(日)、先月30日のギックリ腰発症から5日目、今回は痛いのを覚悟し、身体を積極的に動かしています。軽症だったこともあると思いますが、もう嫌と言うほどギックリ腰痛を経験しています。今度こそ何かを掴んで、治癒したら嬉しい。今年は春から熊野神社の地区総代も当たっていて、毎日曜日は、何だかんだと神社へ出向いています。今月11日(土)が宵祭り、12日が市立祭で、私も参加を余儀なくされています。

さて畑仕事ですが、今年は例年になく広範囲に耕作を広げています。中心に玉ねぎを4列、脇にジャガイモを3列植え付けしています。さらに例年のように、サツマイモを両脇に植えてみたい。こうなるとMAX植え付けとなります。まだまだ初心者コースですが、実がなるモノは作っていて楽しいですね。

流石にこれまで耕作していない所を機械で耕すと、これはやはり硬くて大変です。腰の具合も良くなく、機械が暴れるので腕も疲れます。2時間の予定を半分にして、早々に帰って仕掛けていた風呂に入りました。『無理しない』のが、私の『晴耕雨読』方法であります。昨年より遅れますが、青木種苗店に芋ツルを30本ほど注文して帰りました。

本来ここはサツマイモ以外を、収穫した記憶がありません。元々『草競馬』が行われていたところと聞いています。土質は粘土で、作付けにはむいてないと心得ています。もう一つ拙宅から2㎞は離れています。歩いて行けるところではなく、毎日は行けていません。こうなると葉物の栽培やキュウリやトマトなどの果実は難しいと考えています。

しかし玉ねぎやジャガイモのあと利用は、もう考えないと行けない。今は有難いことに、『ユーテューブ』があります。農作業に関する動画も沢山あり、求めると何でも入手出来るようになっています。暫くは、この畑で楽しんでみます。あくまでも『出来る範囲』に限って、挑戦して見ます。出来た作物は、近所に配ることにしています。





最後になりますが、唐十郎(本名・大鶴義英)さん84歳が死去しました。もしかしたら私の干支と同じかもしれません。1940(昭和15)年東京都に生まれ、58年に明治大学入学。学生の頃から、俳優として舞台に立っています。私も1年生の教養ゼミで蔵原演劇ゼミを選択し、観劇に勤しんでいました。1971(昭和46)年頃、上野不忍池で赤テントの公演も観に行きました。アングラ演劇であります。

母方の従兄弟に『支那海 東(しなかいあずま)』がいます。今年1月『戯曲黒いダイヤ』を石風社から上梓しています。初版を贈ってくれています。彼は唐十郎氏の弟子です。先の赤テント公演にも、出演していました。地元の福岡でテント劇衆『上海素麺工場』を旗揚げして45年、支那海東の渾身の戯曲を刻み込む。何のお礼もしていませんが、彼の芝居を一度生で観たいと願っています。

唐十郎氏や李麗仙(りれいせん)と一世を風靡した彼も、10年前から療養生活を送っていたようです。74歳で身体が不自由になったとしたら、その後の10年をどう生きたのだろうか。巨星が消えた。



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| 社長日記 | 09:51 AM | comments (0) | trackback (0) |

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