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カウントダウン・メルトダウン上下
ジャーナリスト船橋洋一氏の力作です。東京電力福島第一原子力発電所の、1号機3号機2号機とメルトダウンしただろうと思われる原子炉の様子と、それと悪戦苦闘した吉田昌郎(よしだまさお)氏らの行動について、つぶさにまとめています。

こんなこと書いて、余計な心配をさせても仕方が無いのですが、日本国の運営の警鐘として、私は読んでいました。上下2巻ですから、大変なボリュームです。まとめて読む時間がありません。出張の時などが、ページを稼ぐ絶好のチャンスです。

印象的な記述は、下巻380頁に今話題の猪瀬直樹東京都知事の「昭和16年夏の敗戦」にあります。近衛文麿内閣は、1941年(昭和16年)4月1日に、内閣総力研究所を発足させた。

「12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、結局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦は何としても避けなければならない」との結果を当時の近衛文麿首相と東条英機陸相に報告する。

歴史が語るように、2人はこの分析を「机上の演習」として無視します。なぜ日本は開戦に踏み切ったかと言われ、戦略がなかったと言われています。まさにその通りであって、東京電力福島第一原子力発電所では、放射能が大量に飛散するような事故は起こらないとの神話が、すべての対策をさせなかったのです。

素人目にも、事故後の右往左往は、とても心配でした。あり得ない確率の事故だと言われても、現に全交流電源が喪失し、原子炉に冷却水が入らない状態です。菅直人首相や内閣閣僚、東京電力、東京電力福島第一原子力発電所周辺の自治体でも、災害時の避難等のシミュレーションは存在しなかったのです。

一番ひどいのは東京電力の本店です。「指揮命令系統がメチャクチャ」状態を放置したまま、現場にそのツケを払わせ続けたのです。その結果、吉田昌郎(よしだまさお)氏は、現場の事故対応に止まらず、経営判断と政治判断にも配慮して、事故対応を迫られることになります。海水を入れ続けたのも、その1つです。

そして当時諸悪の権化のように言われた菅直人首相ですが、リーダーシップのあり方からすれば、おそらく菅直人首相は落第点をつけられてもしょうがないだろう。にもかかわらず、菅がいなければ「日常モード」から「有事モード」への思い切った切り替えは出来なかったと思います。

炉心溶融がおこり、炉心が溶けて地下に沈み、地下水脈に触れて汚染水が流出しています。東京電力福島第一原子力発電所は、安定したわけではありません。あくまでも、進行中格闘中です。東京電力福島第一原発現場の、故吉田昌郎(よしだまさお)氏などの「覚悟」で、いまこのように日本人は日常モードの生活が出来ています。

作者の船橋洋一氏も終章で、「神のご加護」と書いてあります。亡くなった吉田昌郎(よしだまさお)氏のことも詳しく書いています。彼の活躍と、神のご加護ですが、出来ればこのまま収束へ向かって欲しい。


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| 社長日記 | 10:28 AM | comments (0) | trackback (0) |
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