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2014年元日永遠の0を映画で
新年、あけましておめでとうございます。旧年中は、大変お世話になりました。新年も宜しくお願いします。今年初めての社長日記は、大晦日に見た映画の話しからはじめます。年末に映画を観たのは、生まれて初めての経験です。それとなく気ぜわしい年末ですが、無理しても観てよかったと思う作品でした。

2006年に出版された百田尚樹(ひゃくたなおき)氏のデビュー作が、「永遠の0(えいえんのぜろ)」です。私は2009年に、講談社文庫で文庫本になった本作品を読みました。それも大津病院で頸椎の手術を受ける時でした。次男の誠之が持ち込んだ本でしたが、特攻隊で死ぬ人間の物語は、入院患者には似合わないと思います。

大学生の佐伯健太郎と、出版社に勤める姉の慶子は、亡くなった祖母・松乃の四十九日から暫くした頃、祖父・賢一郎から実の祖父の存在を知らされる。 「お前たちの母・清子を連れて松乃は太平洋戦争後に私と再婚した。お前たちの実の祖父は、松乃の最初の夫で終戦間際に特攻で戦死した海軍航空兵だ」。

戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だったという男は、久蔵について「海軍航空隊一の臆病者」「何よりも命を惜しむ男だった」と姉弟に蔑みの言葉をぶつけた。健太郎は元戦友から初めて聞く祖父の話に困惑しながら、更に手がかりとなる海軍従軍者たちを訪ね歩く。

だが、生前の久蔵を知る者達の語ることはそれぞれに全く違っており、調べるほどにその人物像は謎に包まれていた。戸惑いつつも二人は、国のために命を捧げるのが当然だったと言われる戦時下の日本と、そこに生きた人々の真実を知っていく。

凄腕のゼロ戦乗りで、卑怯者と誹られても、「娘に会うまでは死なない」と松乃との約束を守り続けていた久蔵は、なぜ特攻に志願したのか? 終戦60年目の夏に、長きにわたって封印されていたその壮絶な生涯と驚愕の事実が明らかになる。(ウィキペディアフリー百科事典から)

密かに身体を鍛え、飛行機の調子異常にも敏感で、必ず生きて帰ると誓う宮部久蔵の口を通じて、戦争の無意味なことが象徴的に語られる。宮部久蔵は、パールハーバー(ハワイ)の戦いで空母撃沈が出来なかったことに、「日本の敗戦」を予感して生きて帰るという選択をする。

それでいて最後は、鹿児島の、鹿屋海軍航空隊の鹿屋飛行場から特攻に出撃し、米空母タイコンデロガに突入して未帰還に。享年26。出撃前に大石賢一郎に愛機を譲り、その機がエンジン不調で喜界島に不時着し、大石はそこで終戦を迎えた。その大石賢一郎が、今の祖父である。

戦争はしてはならない。安倍晋三首相の靖国神社参拝は、どうみてもガキのおねだりとしか世界は見ていない。軍備の拡大は、してもしても同じです。相手もそれに比して、拡大をしてきます。アメリカの20年後を日本は追っていると言われています。

アメリカ同時多発テロ事件は、2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した、航空機を使った4つのテロ事件の総称でありますが、力で他を征することは、できません。その象徴的出来事が、9.11だと私は思っています。日本は、戦争をしてはなりません。他国を征することは、そこの人を征することです。人類はみんな平等です。

百田尚樹の「海賊と呼ばれた男」上下巻も、面白い作品でした。今月23日に、香川銀行主催の講演会に来高します。私は過去に、明大の竹中右門先輩の紹介で、名古屋でお目にかかったことがあります。まだ若い、これから何を書いてくれるのか楽しみな作家です。

元日サッカーは、横浜が強かった。念願の天皇杯を手にしました。



名古屋で百田尚樹氏と

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| 社長日記 | 11:01 AM | comments (0) | trackback (0) |
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