何とも長い標題ですが、正確には40万部の「海賊と呼ばれた男」というのも間に入っています。今人気絶好調の百田尚樹さんの、講演会ですか。会場は名古屋のマリオットアソシアホテル51階シリウスです。総勢50人弱程度盛和塾メンバーも多く、東京・横浜・千葉からも来ています。四国も遠い方ですかね。
ことのおこりは、盛和塾名古屋竹中右門塾生からのお誘いの電話です。右門さんにはこれまで大変お世話になっています。もう一ヶ月前ほどでしたか、突然電話を頂き、詳細はその後永野久美子塾生から知らされて、今日の内容を知りました。「名古屋へおいでよ」「はい参ります」。確か右門さんとの会話は、この程度のものでした。
竹中右門さんは古くからの盛和塾塾生であると同時に、明治大学の先輩でもあります。ここに連なっている者は、弁護士の園部さん飯田さんはともに東京塾、新潟塾の栗山さんも来ています。何かにつけて、右門さんにお声がけを頂いております。昨年の板東玉三郎の明大特別講演を仕掛けたのも、竹中右門さんでした。
今日は竹中右門さんの地元で、3人のご子息も参加されていました。いつも奥様と盛和塾に参加される竹中さんですが、3人のご子息の存在は知りませんでした。みなさん地元に根を下ろしているのですね。改めて人のつながりの深さをひしひしと感じました。
さて百田尚樹さんの講演ですが、「永遠の0(ゼロ)」は160万部を突破したとか、「海賊と呼ばれた男」も40万部を越えて数字を延ばしているそうです。恥ずかしながら私は、両書共に知らずに次男に永遠の0(ゼロ)を貸して貰って読んだのがはじめてになります。もう1年前になりますか。聞くと今は、三条店の大黒未来美が読んでいるそうです。
また海賊と呼ばれた男は、本会のお誘いを頂いてからアマゾンで購入して読みました。もともと百田尚樹さんは放送作家として、25年間「探偵ナイトスクープ」に携わっていた作家だそうです。その人が50歳になって、小説を書き始めて今は救急車で3度運ばれるほどの過密なスケジュールの中で、本を書いています。
特に海賊と呼ばれた男は、出光興産創業者出光佐三を書いていますが、著者が出光佐三の存在を知ってから、本にするまで、憑かれたように熱中して書いています。リーマンショック後の閉塞感の漂う日本に、こんな素晴らしい先人がいたことを伝えるために、百田尚樹は書いたと語っています。
恥ずかしながら私も昨年、香川菊池寛賞応募作品を書きましたが、やはりその原稿量が違います。どうにか枚数を合わせたという程度では、どうにもなりません。私は勇気を振り絞って百田尚樹氏に質問しました。「登場人物の名前はどのようにして決めていますか」。思いを込めて決めているようです。更に驚いたのですが、実名も多いのです。
百田尚樹田さんのおかげで、また書いて見ようと思いました。忙しいのは理由になりません。私はこうして全国をぶらぶらしているのです。そんな時に、ふと感じたことを貯めておいて材料にするのと、実在する人物のことを徹底的に調べて小説にするのと、誰も殺さない誰も傷つけない私のやり方でも、これは何とかなりそうです。