2014,03,30, Sunday
安西愈支部長とクレメントホテルで会食後、支部長を1軒だけ高商OBがよく来る店へ誘いました。山口富士雄先輩も帰り支度のところ引き返してくださり、3人で楽しい時間を過ごしました。丁度その店の奥に、高商のOBがいらっしゃるというので挨拶へ行きました。
その席に、ヤンマーエネルギーシステム㈱高松支店の佐藤吉範支店長が、同席されていました。私がヤン坊マー坊天気予報の話しをすると、「その通りですが、3月末で終了します」と寂しいことを言われました。驚いたのですが、酒の席のことで忘れていましたが、新聞に終了告知記事が出ていました。 これは私の勝手ですが、浅草雷門のパナソニックの大ちょうちんと、ヤン坊マー坊天気予報は、どんな時代になろうとも止めないと思っていました。以下は2011年4月26日の小欄に、私がヤン坊マー坊天気予報の経緯が長々と書いています。ウィキペディアフリー百科事典で勉強をしました。 「一度かかると止まらない焼玉発動機」という当時のうたい文句で、エンジンは日本中の漁港で使われることになりました。漁師はエンジンが止まったら、板子一枚下は地獄です。ところが青森の漁師が、嵐の中、漁に出かけたのです。 みなさんの想像通り、船は難破し、当然エンジンが止まってしまいました。漁師の相続人は、販売会社を訴え、当然賠償すべしという判決が出ました。それを山岡孫吉は、代わって自分が損害金を支払、遺族に詫びをしました。 爾来山岡孫吉は、「ヤン坊マー坊天気予報」を、会社が続く限りやり続けるように託して昭和37年、逝去したのです。いくら性能がよいエンジンを搭載した船でも、嵐の時に船出したらひとたまりもありません。安全を確認して出漁して下さいという、山岡孫吉の精神が今日まで続いているのです。 今の経営者もこのあたりの経緯は、よく承知していることです。少しずつ変わらなければ企業の存続はありません。弊社にあっても「似顔絵看板」が、お洒落な「MIKE」に変わろうとしています。追い求めるコーポレートガバナンスから、イメージ対象が変わりつつあるとは思います。 弊社の「似顔絵看板」と、ヤンマーのヤン坊マー坊天気予報とは比較になりませんが、時代は変わるのです。少しずつ変わらなければ、企業は存続できないのです。ラーメンの味を毎日進化させるのと同じです。味が変わらないねと言われるのは、日々少しずつ変えているのです。毎日同じだと、「味が落ちた」と言われます。 既報のヤン坊マー坊天気予報 |