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山岡孫吉はヤン坊マー坊天気予報をなぜはじめたか
創業者の山岡孫吉により、石油発動機のメーカーとして1912年(明治45年)に創業したヤンマー株式会社(英称:YANMAR Co.,Ltd)は、大阪府大阪市北区茶屋町に本社を構える発動機(エンジン。産業用を含む)ならびに農機、建機、小型船舶の製造販売会社である。

商標「ヤンマー」(のち社名ともなる)は、商標候補として豊作のシンボルであるトンボを検討していた[1]が、すでに商標権が静岡県の醤油メーカーにとられていたため、代案としてトンボの大将オニヤンマにちなんで命名されたものである。創業者の姓の「山岡」に発音が近かったのも決め手となった。

1933年(昭和8年)12月23日には、石油発動機よりも経済的だが技術的ハードルの高かった小型高速ディーゼルエンジンの自社開発に成功(「HB型」ディーゼルエンジン)。以降は中・高速型のディーゼルエンジンとこれを利用した工業製品の生産で業績を伸長してきた。

そのためか、同社が開発し製造したディーゼルエンジンは全般的に信頼性および耐久性が非常に高い事で知られており、創業当初から「ものづくり精神」という概念を21世紀の今日まで頑なに守り続けている。

業界における大手メーカーではあるが、競合するクボタや井関農機(以下、ヰセキ)と違い、2010年(平成22年)時点でも非上場である。

マスコットキャラクターは、ヤン坊とマー坊で、同社イメージ・CMソング「ヤン坊・マー坊の歌」や、日中の夕方や夜に地方で放送される天気予報番組「ヤン坊マー坊天気予報」(冠番組)のタイトルにも冠している[2]。

ここまでは小欄によく出てくるフリー百科事典ウィキペディアからの出典です。

山岡孫吉は、滋賀県近江の出身で、15歳で大阪へ働きに出ました。大阪ガスの重役に認められて、昼夜の穴掘りから身を起こし、やがて一度かかると止まりにくい「ディーゼルエンジン」の商業化へ突き進みます。

ドイツの技術者ルドルフ・ディーゼルが発明した内燃機関であるディーゼルエンジンは、日本の漁船にぴったりだと確信した山岡孫吉は、数回ドイツへ渡り、英語すら出来ないところ、ディーゼル博士に教えを請い、商業化へ成功しました。

「一度かかると止まらない焼玉発動機」という当時のうたい文句で、エンジンは日本中の漁港で使われることになりました。漁師はエンジンが止まったら、板子一枚下は地獄です。ところが青森の漁師が、嵐の中、漁に出かけたのです。

みなさんの想像通り、船は難破し、当然エンジンが止まってしまいました。漁師の相続人は、販売会社を訴え、当然賠償すべしという判決が出ました。それを山岡孫吉は、代わって自分が損害金を支払、遺族に詫びをしました。

爾来山岡孫吉は、「ヤン坊マー坊天気予報」を、会社が続く限りやり続けるように託して昭和37年、逝去したのです。いくら性能がよいエンジンを搭載した船でも、嵐の時に船出したらひとたまりもありません。安全を確認して出漁して下さいという、山岡孫吉の精神が今日まで続いているのです。

この話を石巻で、宮本嘉二やその家族にしたのですが、漁業関係者の間でも、東北のこの地でも存外天気予報の由来を知られていないことが分かり、これは伝えなければと思ったものですから紹介しました。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=1556 |
| 社長日記 | 08:30 AM | comments (0) | trackback (0) |

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