2015,03,11, Wednesday
改めて2011年3.11地震や津波、その他の災害で尊い命をなくした1万5千余人の東北地方の皆様に、心より哀悼の意をささげます。私たち日本人の心の中には、老若男女ともに「石の上にも3年」という思想があります。
ともかく文句を言わずに、与えられた環境で、3年間はそのままじっと耐えて生きていくという良き習慣です。しかしその反動が4年目から押しかけてきます。人の心は、バランスの勝負です。善も悪も、心の中に持ち合わせています。3年間、重い蓋が心の蓋となっています。 その反面3年が過ぎると、それまで一所懸命の糸が切れて、心が折れてしまいます。この4年目の平成27年今年1年は、いろいろな意味で岐路になると思います。私の友も被災者ですが、彼は被災から1年で素早く工場を再建し、魚関係の仕事をしています。 海岸沿いの工場の建築には、勇気がいったと思います。海岸線のレベルが、どの高さで最終的に決まるのか。魚関係の仕事だけに、東電福島第一原発事故からの放射能汚染も心配の種だったと思います。それでも迷わず彼と家族は、仕事を再開しました。 幸いなことに、彼の自宅は災害から免れて、母親から兄夫婦、はたまた従業員まで彼の自宅を仮設住宅としていました。彼の自宅が比較的軽い被害であったことも、彼の仕事への早期復帰の背中を押したのかも知れません。私も激励に行きましたが、決して快適とは言えないまでも、やはり心のやすらぎが得られます。 人が生きるための3つ「衣食住」とは言うものの、私は人は住む場所の確保、つまり「住」が一番必要材だと考えています。衣食足りて礼節を知ると言いますが、住足りて生命の保全です。一番に住の確保が出来て、次は仕事です。これが人が前向きに生きるためには、必要不可欠です。 月並みな被災4年目の今日の一日は、TVや新聞が報道していますが、私は香川県のそれもハッキリ言うなら、「香川県中小企業家同友会」有志が岩手県陸前高田市で仕掛けた「岩手うどんプロジェクト」を4年目の明るいニュースとして紹介します。 勿論TVや新聞でも報道されていることから、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、被災後1ヶ月足らずの4月初旬、同友会の有志が、なぜだか岩手県陸前高田市へ行って「うどん」の接待をしていました。私が石巻市に、彼らは陸前高田市にいたのです。 私が麺職人だったことを知っている彼らは、「手伝いに来たら」と催促します。当然移動方法がない(彼らはトラック私は仙台からバス入り)私は、「ゴメン」と詫びながら、彼らが毎年来たとしても、一体何食提供出来るのか?そんな冷ややかな目線で見ていました。 ところが2年目に彼らが陸前高田市へ行った時、うどんを美味しく食べて貰っている人々のなかに、仕事が必要だと実感したのでした。そこで陸前高田市に、彼女らの働く場、つまり「うどん屋」を作ったのです。中心人物は、「たもや」の黒川保さんでした。 彼は東京JR有楽町駅前の電気ビルB1に、昨年店を出しました。小欄でも紹介しました。本日の結論です。人には、生きていくために住まいと仕事がどうしても必要なのです。仕事が、人を大きくします。 有難いことに今日する仕事、明日する仕事が私にはあります。本日66歳で他界された虫本奥様、ご冥福をお祈りします。そして未だ行方不明の2,500余名の命に、哀悼の意を捧げます。 過去の小欄から |