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道なき時代に道を作るゆめタウン・サリン事件から20年
オウム真理教集団が、地下鉄の車内でサリンを撒いた事件から20年になります。亡くなった皆様に心より哀悼の意を捧げます。また今も苦しんでいる人がいることも、忘れてはならない現実です。「IS」のテロと戦う前に、国内のテロに、毅然とした態度で臨む姿勢がいります。

株式会社イズミ創業者会長山西義政氏が上梓した、単庫本を紹介します。92歳の現役会長が、イズミの創業から、今日までの「革新・挑戦・スピード」信条のアクションをこまめにまとめたものです。丸善出版から1,500円+税で、市販されています。

何かのきっかけで知り、購入してみました。山西義政氏は1946年、24歳で海軍から復員し、ふるさとの広島の駅に降り立ち、食べるために広島駅前の闇市場に戸板一枚の露天を開きます。

つてを頼って広島の山村に足を運び、分けてもらった干し柿を、戸板の上に並べて売ってみた。大変美味しいと喜ばれた。色々売ったようですが、「いま一番喜ばれるのは衣料だ」と考え、夜汽車に乗って大阪へ買い出しに行って広島で売り始めます。

やがて衣料卸問屋山西商店から、スーパーマーケットイズミ、GMSゆめタウンへと個人商店から上場法人企業へと成長していくのです。1990年代になって、新しい大型店、それが「ゆめタウン」。買い物だけでなく、趣味やスポーツも楽しんで貰える場を作ろうと、だから店でなく街。それがゆめタウンと言うことになります。

弊社三条店は、ゆめタウン高松の南にあります。毎日ゆめタウンを見ない日は、ありません。もっとも三条店にいる時だけですが。1998年(平成10)3月、髙松店がオープンしました。度肝を抜かれたのは、国道に架せられた市道でした。敷地反対側に登りの側道を作り、国道の上を高架橋で渡ります。

何かの講演で、創業者会長山西義政氏の話を聞いたことがありました。確かこの高架橋に、14億円を要したと聞いたと思います。初代の髙松店長は、別のところで12億円と話していました。どちらの数字も正しいと仮定すると、2億円がどこかへ消えたことになります。

その後イオン髙松店も、同じような手法を使って混雑を解消しています。しかしゆめタウンの市道は、驚きました。勿論イズミが作って、高松市へ寄附します。高松市としては、タダで設置が出来るわけですが、その後の管理を考えるとにわかにYESとは言えませんよね。

そこに、天の声が聞こえてくるわけです。もちろんそんなことは、一切書かれていません。しかしその位、イズミの戦略は徹底しています。ゆめタウンの進出から、高松の大型店舗の動きが、確かに変わりました。

値段の割には、読む時間はそう掛かりません。しかし株式会社イズミ創業者の意気込みは十分伝わってきます。同窓会役員の井上さんがくれた梅や桜の枝を入れるバケツを買い求めるためにイズミは凄いなと、そんなことを考えて髙松店の2階を歩いていると、なんと「東京シャツ」がありました。



イオン高松とイオン綾川店に出店があることは、存じています。それが、ゆめタウン髙松店にもあったのですね。私はこの、東京シャツのワイシャツを長く愛用しています。残念ながら既製品では、身体があいません。従って、ある程度オリジナルシャツが必要になります。

最近、そうですねここ半年ぐらいで6枚のワイシャツをイオン髙松店で購入しました。前からのを含めると、もう10数枚はあるでしょうか。少し遠いなと考えていた東京シャツですが、もとは東京品川や東京駅でしたから、イオン髙松店は近いのですが、それよりゆめタウン髙松店はもっと近い。



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| 社長日記 | 08:10 AM | comments (0) | trackback (0) |
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