盛和塾大阪の塾生稲田二千武(にちむ)氏が、平成27年6月8日の讀賣新聞7面に大きく紹介されています。稲田二千武氏は、盛和塾30年の歴史の全てを知る最古参の一人であります。私の印象では、2010年の稲盛和夫塾長のJAL再生の際の50万人塾生応援団の発起人の一人として、よく覚えています。
稲田二千武氏は、家庭用マッサージチェアーを作る「ファミリーイナダ」社長です。今年74歳、売上高217億円従業員450人という高収益企業を、50年以上経営されています。記事では、経営の危機が過去にあったことも書かれていますが、塾生である限り大丈夫です。
1959年米子高等経理学校を卒業し、多くがそうするように大阪に出て、鉄工所に入社して3年で「稲正万能工芸社」を設立します。そこで、自動マッサージ器「ファミリー・チェアー」の製造販売を開始します。当時は全国に銭湯が、2万5千軒あり、男湯と女湯にダブルで売れたようです。
30歳の頃には、従業員を200人雇用し、「高度成長期の若き成功者」として業界で一目置かれる存在になったそうです。するとどこからか、邁進した経営者像が浮かび上がって来る物です。いろいろな災難が降りかかってきます。
社員と膝詰め談判をすると、「若いのに生意気すぎる」とか「飲み歩いてばかりいる」などと厳しく糾弾される始末。多くの経営者が、自分ではそうではないと思っていたのだが、ここで「なんて馬鹿な男やったんや」と涙したとも書かれています。
次ぎに血判状が登場するのですが、血判状と言えば稲盛和夫塾長も血判状を突きつけられたと書いていました。この1980年代は、日本経済も右肩上がりで国民の意識も全体的に高揚していたのでしょう。良いに付け悪しきにつけ、同志の意識のベクトルが、一つの方向に合っていたのです。