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人生に遅すぎるということはないby安藤百福
松山市が大雨で、大変なことになっています。10時から11時の1時間で60ミリの降雨とか。一日違いで、私は難を逃れましたが、松山の人大丈夫でしたか。松山も雨が少なくて、「渇水」が心配されている都市ですが、こんなに降ったら困ります。

今日の小欄は、ネットで拾った話題です。信用組合の倒産により47歳で無一文になった安藤百福は、それから約1年間、たった1人で1日も休まず研究を続け、ついにチキンラーメンの開発に成功します。昭和33年の出来事ですから、今からだと57年も前の話です。

「「遅い出発ですね」とよく言われるが、いつも「人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳からでも新しい出発はある」と答えた」(『転んでもただでは起きるな!』安藤百福発明記念館 編)

よく「何かを始めるのに遅すぎることはない」ということがいわれます。その言葉を実践して、成功を収めた遅咲きの人もたくさんいるでしょう。盛和塾では、このような成功をよく言わないのです。盛和塾は、コツコツが基本ですから、波瀾万丈の成功は良しとしていないように思います。

しかし50歳を間近にして、しかも協力者も資金もない中で、世界中の人々の食文化やライフスタイルまで変えることになる商品を作り上げた安藤は、まさに特筆すべき1人でしょう。それまでの彼の生き方を知りたくなって、私も『転んでもただでは起きるな!』を取り寄せました。

「振り返ると、私の人生は波乱の連続だった。両親の顔も知らず、独立独歩で生きてきた。数々の事業に手を染めたが、まさに七転び八起き、浮き沈みの激しい人生だった。成功の喜びに浸るまもなく、何度も失意の底に突き落とされた」。

しかし、そうした苦しい経験が、いざというときに常識を超える力を発揮させてくれた。即席めんの発明にたどりつくには、やはり48年間の人生が必要だった」。最初の商品は、当時まだ小学生だった息子(宏基・後の日清食品社長)まで動員して、家族総出で作り上げました。

また商品ができたばかりでまだ売れるかどうかも分かっていない頃から、貿易会社の知人を通じてアメリカにサンプルを送るなど、安藤は初めから世界展開を意識していました。このあたりがプチ成功と、大成功の違いでしょうか。

すぐに反応があったため輸出用に500ケースほど準備、英文の説明書をホチキスで袋に止めるのも子供たちの仕事でした。そんな状況の中、「食べ物には国境がないから、これは世界的な食品になっていく」。安藤には、そんな予感がありました。無一文になってから、まだ一年余りしか経っていない頃のことです。

チキンラーメンは、当初、休眠状態だったサンシー殖産を使って製造販売していましたが、数ヵ月後には、その名を日清食品と改めます。そこには「日々清らかに豊かな味を作りたい」という安藤の願いが込められていました。

私にとって日清食品のチキンラーメンは、そんなに食べた記憶がありません。大学生の頃、風呂屋のバイト帰りで食べたのは、サンヨー食品が昭和43年9月に製品化した「サッポロ一番味噌ラーメン」でした。今から半世紀前に、インスタントラーメンは誕生しました。ちなみに岡田一博は、塩ラーメンが好みでした。

それから先は、カップヌードル(昭和46年9月発売)の誕生です。カップヌードルが最初に活躍したのは、1972(昭和47)年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件で、機動隊がカップヌードルを食べていました。

チキンラーメンやサッポロ一番などは、お湯を沸かしてその中に入れて調理します。しかしカップヌードルは、その本体の中にお湯を入れて3分したらそのまま食べられるように改良されたものです。寒い長野の地で、調理時間のない機動隊員の腹を満たしたのは、カップヌードルでした。

しかしそのカップヌードルも、今では色々味が開発されて、まさに日本食の定番にまでなっています。流石に今の私はカップヌードルは食べませんが、非常食となれば別です。お湯を入れて3分したら食べられるカップヌードルは、非常食にピッタリです。今ではスパゲッティーも、この中にあります。

あれやこれや、またこれからこの世界は世界を相手にして、成長発展していきます。しかし安藤百福がいたからこそ、今のインスタントラーメンがあるのです。歴史の第一歩は、コロンブスの卵です。私は海外へも行きますが、美味いものは日本に数多くあります。


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| 社長日記 | 12:55 AM | comments (0) | trackback (0) |
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