決して暇ではないのですが、神田駿河台1-1明治大学駿河台キャンバスを巡る同窓会をしています。本日は入学した時に、最初に集まった政治経済学部経済科8組の仲間が集まりました。湯川正に紹介された橋口隆二理事にお願いして、館内案内の担当者を付けてもらいました。
私は比較的多く、新しいキャンバスを見ています。毎年、板東玉三郎氏と齋藤孝文学部教授の講演会に来ています。1989年(平成元年)からここお茶の水キャンバスは、建物が新しくなっています。もう26年になりますが、今月月末の学園祭は、131回と書いてありました。
明治大学は1881年1月、近代国家としての自立が急務とされる中、まだ30歳たらずの青年法律家(フランス)であった、岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操によって明治法律学校として創立されました。リバティータワー最上階の地上120㍍23階には、岸本辰雄記念ホールがあります。
わが国近代の草創期に「わが国の近代市民社会を担う聡明な若者を育てたい」という3人の熱い想いが、明治法律学校の創立につながったのです。創立時からの伝統によって確立された建学の精神「権利自由,独立自治」に基づき、自由と自治の精神を養うことを明治大学の理念としています。
とは良いながら明治大学は、法学部教授による司法試験入試不正の騒ぎがあったばかりです。聞くと、数日はマスコミが押しかけて、広報は大変な苦しい時期があったと聞きました。「街宣車は?」、ありませんでした。もう事件は、終わっています。
経営担当常務理事橋口隆二氏のお陰で、私も見たことがなかった駿河台キャンバスを見ることが出来ました。秦野優(神奈川県二宮町)の話しだと思いますが、娘さんが明治を受験して失敗し、早稲田へ行ったとか。今の明治は、男女比が6:4、日本人対が外国人は、30:1。ますます前への明治大学です。
その後予定の、徒歩4分「飛騨居酒屋蔵助」(神田駿河台3-5-15)へ、8人で押しかけました。すると先に北海道北見の斉藤伸一郎が来ていました。参加の連絡はありましたが、遅れるのかと思いきや、先に来ていました。遠隔地の彼が、当然乾杯役です。
参加者は、斉藤伸一郎(北海道北見市)、浅香稔(石川県金沢市)、近藤清二(宮崎県宮崎市)、秦野優(神奈川県二宮町)、鈴木文夫(大阪市住吉区)、曽我和孝(名古屋市東区)、北原幸則(埼玉県上尾市)、小倉展治(東京都調布市)、そして松野誠寛。
各自の話を聞いていたら、悲喜交々。金融・証券・保険業界へ行った連中は、今63歳あたりで全員が隠居です。この業界は生涯賃金が高いのですが、再就職があっても、再々就職は難しいようです。
0101(丸井・デパート)へ行った奴は、これはおおらかでそれなりに現役をやっています。また斉藤伸一郎や私など、自営業をやっている者はまだまだ現役のようです。私の一番の尊敬の的、成井茂男は行方不明です。同じところへ入って、違うところへ巣立ち、そして63歳の勝ち組に入っています。
54名いたという同窓生ですが、既に4人が鬼籍に入ってしまいました。住所が分かっている31名に連絡をして、今日の参加が9名。こいつらが私の、大人の第一歩を踏み出した友です。鈴木文夫(大阪市住吉区)は、これまで独身。色々な40年がありました。明日も懲りずに、中野渡りゼミの同窓会をやります。