2016,10,25, Tuesday
日本ラグビー界を代表するスター選手として活躍した平尾誠二氏が、20日朝京都市内の病院で死去。病名は発表されていない(25日胆管細胞がんと発表された)が膵臓がんとも聞く。同志社大学から神戸製鋼に進み、日本選手権7連覇など、輝かしい活躍は広く知られているところであります。
関西人でありながら誰もが認める全国区一というのは、そうはいない。その訃報に私も驚いたが、同時に同世代のラガーマン松尾裕治氏のことが頭をよぎった。2人を対比して平尾誠二氏の冥福を祈りたい。 松尾裕治氏は1954年1月生まれだから、私の1学年下の明治大学ラクビー部員で、大学で大活躍後は当時無名の新日本製鐵釜石へ入社した。その松尾裕治氏は、新日本製鐵釜石時代に地元高校ラグビー部卒を引き連れて、日本選手権に7連覇したのです。 松尾裕治氏のお陰で、私の在学時代の明治大学ラクビーは強かった。当時は正月15日の成人式が日本一決定戦開催日で、雪山でその試合を見ていたものでした。平尾誠二氏と松尾裕治氏は9歳離れていて、松尾裕治氏の後に平尾誠二氏がラグビー界を面白くしてくれたのです。 このように松尾裕治氏も輝かしい成績を収めているが、退社後の賭博逮捕で明治大学ラクビー部を除名されている。あれだけの貢献をしながら除名はないだろうと私などは思うのですが、学生に与える悪影響を心配しての処分でしょうか。 それに比べて平尾誠二氏は何の汚点もなく、文字通り日本ラグビー界のスーパースター、宗教界で言えばイエス・キリストでした。2019年のラグビーワールドカップも迫っており、先のリオ五輪でも活躍した日本サッカー。彼の早すぎる死は、返す返す残念でたまりません。 どちらかと言えば関東勢が強かった大学ラグビー界で、彼の所属する同志社大学は史上初の全国大学選手権で3連覇し、社会人の神戸製鋼で日本選手権これまた7連覇を達成した。決して平尾誠二氏1人で成し遂げたものではありませんが、彼が居たから達成したのは間違いのないこと。 松尾裕治氏が日本代表キャップ(国・地域協会の代表選手として国際試合に出場した数)24に対して、平尾誠二氏は35。82年には当時の史上最年少の19歳4ヶ月で初キャップを獲得した。87年の第1回ワールドカップから3大会連続出場。97年には34歳の若さで監督就任し、99年の第4回で指揮を執った。残念無念であります。 少し長くなりますが、致知出版社から追悼の思いを込めて、平尾さんが登場した2005年6月号の記事の一部が紹介されています。あなたの人間力を高める致知出版社の、「人間力メルマガ」【号外】から転記させていただきます。 とにかくラグビーに夢中になっていたので、高校に入る時も、自分がラグビーをする上で一番いい環境を求めて、山口良治先生のいる伏見工業に入ったんです。 当時の伏見は、まだ全国大会に一度も出ていませんでしたが、山口先生の名はかなり知られていました。 僕は、既に強くなっているところに入るよりも、これから伸びるところで自由にやらせてもらうほうが自分の性に合っていると考えて、伏見を選んだんです。自分で決めて入ったわけですから、ラグビーに集中せざるを得ませんでしたが、 正直言って一年の時は、練習がいやでいやで辞めようかと思っていました。 やっぱりきつかったです。5月ぐらいになると、自信をなくして体調を崩してしまいました。先生に相談しに行ったら、よく話を聞いてくれて休ませてくれました。 おかげで、なんで自分はここへ来たのか、と原点に返って自分を見つめ直す時間を持てて、もう一度立ち向かおうという気になりました。立ち直るまでほんの二、三日でした。その間に、一気にパッと変わったんです。 それでたまたまいい具合に波に乗ることができて、チームも強くなり、二年で初めて全国大会でベスト8入りし、キャプテンを務めた三年で一気に日本一になったんです。 (中略) (山口監督の指導は)厳しかったですね。当時の仲間たちのほとんどが殴られていると思いますよ(笑)。いまの時代は許されないけれども、当時はそんなこと当たり前でした。文句を言うやつもいませんでしたし、ある意味いい時代だったと思いますよ。 そんな中で印象に残っているのは、よく人間の力の話をしてくださっていたことです。非常にいい話で、いまでも僕は大切にしているんです。僕らが三年の頃にはすごく強いチームになっていて、どことやっても勝っていました。 前半で点差が4、50点開いたりするので、つい手を抜いたり、気を抜いたりするんですが、それでも余裕で勝ってしまう。すると先生は、ハーフタイムの時に えらい怒るわけですよ。「なめてんのか!」と。そしてこんな話をよくされたんです。 人間の力は、全部出し切らないと増えない。だから、余すことなく使わなければいけないのだと。いま10ある力を全部出し切ったら、10.001ぐらいになる。次の試合でその10.001を全部出したら、10.002というふうに力が増えていく。 出し切らずに溜めたら逆に減ってしまうんだと。そして最後の締めくくりに、「それがお金と違うところだ」と。 いい話です。ラガーマンと言えば思い出すのが、松尾裕治氏やこの平尾誠二氏ですが、地元にあっては佐竹文彰氏(元株式会社マルヨシセンター社長)です。残念ながらすでに鬼籍に入りましたが、氏のことを書いた本が上梓されています。いずれかしかるべき時に、小欄のネタとして紹介したいと考えています。 |