26日オークラホテル高松において、オイスカが取り組んでいる東日本大震災復興支援海岸林再生プロジェクト10カ年計画の報告会が、オイスカ高松推進協議会の主催で行われました。タイトルは、「元新聞記者の目で見る海岸林再生プロジェクト」。
報告者は、小林省太氏(元日本経済新聞論説委員)と、浅野奈々穂氏(オイスカ職員)のお二人。それぞれの立場から、違った角度で海岸林再生プロジェクト10カ年計画を語ってくれました。今日は高松明日は徳島へ、続いて次の報告会場へと飛び回っています。
オイスカが取り組む海岸林再生プロジェクト10カ年計画とは、宮城県名取市北釜地区の海岸沿いに、東京オリンピックが開催される2020年(2011年からの10年間)までに、約50万本(クロマツ)の育苗・植栽・育林(100ヘクタール)相当をするという計画です。これをオイスカは、10億円の民間募金でやるとしています。
それも「きちんと意義を理解してもらい」「少額でもいいので」「より多くの方から」集めると取り組んでいます。現在の寄附総額は、498,878,449円で目標の半額の5億円に届くのは近いのですが、その倍を集める計画は残り4年しかありません。
そもそもなんで、名取市の海岸林になったのか。保安林被害は、三陸沖から146㎞に及びます。私は、小林省太氏にその質問をしてみました。理由は「人脈」でした。いろいろな人との関係で、名取市のこの海岸になったとの答えでした。私も被災者の宮本嘉二さんが石巻にいなければ、石巻に行かなかったでしょう。
小林省太氏の話で、民間が海岸林再生プロジェクトに取り組んだ経緯もよくわかりました。時系列から俯瞰してみると、
2012年3月30日 初めての播種。(クロマツ)
2014年4月28日 78,000本 約16ヘクタール 初めての植栽をプロが
2014年5月24日 第1回植樹祭(一般人の植樹)
2015年夏 農業の復活から農夫の手伝いが減少
2016年夏 2014年に蒔いたクロマツが人の身長を越す2㍍に成長
2016年5月21日 村井知事と佐々木名取市長(当時)が記念植樹
毎月第3土曜日がボランティアの日だそうで、私も一度は行って見たいと思います。