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松熊工業・サン建設興業代表取締役会長松熊義美さんの告別式
喪主長男松熊秀樹さんの挨拶で、松熊義美さんは3月14日行年78歳で生涯を閉じたと知りました。突然の訃報に驚きました。私とのご縁は、徳島からのテナント進出の店舗共同斡旋からですが、サン建設興業が宅建免許を私が地区長をしている高南地区で取得していることも。

公益社団法人香川県宅地建物取引業協会では高南地区、一般社団法人香川宅建では高南支部という使い分けです。全国唯一、香川宅建には2つの組織が、車の両輪のように補い合って機能しています。不働産情報誌を、一般社団法人香川宅建で制作販売しています。これが公益性と認められないことから、苦労が続きます。

松熊義美さんは、地区総会へ必ずと言って良いほど出席してくれていました。ある年などは、質問が出て少しだけ会場がざわついたことがありましたが、松熊さんの一言で収まったこともありました。22歳で建設業の独立開業ですから、強烈な個性をお持ちの経営者でした。

歌が好きで、自らが歌手デビューの一歩手前まで行ったと聞きました。同じく喪主の挨拶の中で、「父親が生涯大切にしていたのは、人のためということ、お客様や従業員はもちろん、地域の方々のためにできることはないかと、日々探し求めていた」と長男秀樹さんは言う。

今年で20年になるという「TAG会(高松エアポートエリアグループ交流会)」を平成9年1月につくり、毎年1月に新春芸能発表会を開催しています。私もここ数回参加していますが、11月早々には翌年1月の発表会の正式招待状が届きます。その位、すべてが計画的前倒しです。

また芸能に飽き足らず、ゴルフでもハンディーシングルの腕前でホールインワンも達成しています。自ら松熊工業50周年誌(平成23年10月発行)に、波瀾万丈の人生と書き記しています。告別式で(50周年)記念誌を頂くのは、私も初めての経験です。

葬儀委員長三笠輝彦市議の弔辞にもありましたが、私も同誌の冒頭の「お前は、婆娑羅(ばさら)小僧だ」という下りが印象的でした。丸亀市が毎年、婆娑羅祭りを開催しています。あれは丸亀藩京極家の先祖に、京極道誉という人物がいて、能楽・狂言・連歌・生花・茶道・華道などに優れていたとか。

何物にもとらわれず、自由で、大胆な発想と行動を人々が「婆娑羅大名」と評し、京極家の伝統になったという。自由奔放な松熊義美さんの言動が、この婆娑羅魂になんとなく似ているところがある。しかし大名とは言えないから、婆娑羅小僧と言うのだそうだ。

最後に、故人が所属されていた高松葵ライオンズクラブについて書いておきます。影響力の大きい松熊さんは、当時10数名のメンバーを引き連れて退会したと聞いております。幹事も会長も経験し、レオCLUBやネスCLUBまで作ったのですが、大量退会も仕掛け人は松熊義美さんでした。

私もなぜか見たことのある平成2年の1月11日、田村神社での第459回例会は、46名のメンバーが記念写真に収まっています。元衆議院議員真鍋光広氏の顔もあります。懐かしいメンバーですが、松熊義美さんは平成7年7月56歳で退会されています。23年間も在籍していたミスター葵、クラブの重鎮でした。ご冥福をお祈りしております。


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| 社長日記 | 09:22 AM | comments (0) | trackback (0) |
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