元都知事舛添要一氏の自虐本が、6月5日小学館から上梓されています。早速読んでみましたが、マスコミから「舛添バッシング」で何と弁明しても、分かってもらえなかったとぼやいています。もはや遠い過去の話で、東京都劇場は、小池百合子東京都知事の動向に都民は目と耳を立てている。
古代ローマ帝国の皇帝は、「パン」と「サーカス」を提供し、ローマ市民を愚民化した。今日の日本では、食料、すなわち「パン」は十分にある。残るは、「サーカス」だ。古代ローマでは、競技場や闘技場でスポーツの試合などが行われた。市民はこの見世物、娯楽を楽しんで政治に対する関心も参加意欲も失っていった。
これこそが為政者の狙いで、これを「愚民化政策」という。現在の日本社会で「サーカス」に当たるのが、TVのワイドショー。「舛添バッシング」は、立ち見が出るほどの最高の「サーカス」だったのではなかったか。極悪人をライオンの餌食にした見世物を、市民が喝采して楽しむ。舛添要一氏はその構図と、「舛添バッシング」は同じと分析している。
辞任発表の翌日、評論家・宇野常寛は報道番組に出演し、「バカバカしいにもほどがありますよね。だって、どれだけ多く見積もっても1千万円も不正使用していないのですよ、これで46億円かけてこの後選挙するんですよ。こんだけ、都議会とか麻痺させて、アホかって話ですよ」と。
「パンとサーカス」で、大衆を愚民化する現代日本社会の問題点を見事に喝破している、舛添要一氏は本の中で正当化している。だが、宇野のような論調は極めて例外的と、淡々と自分を援護する意見を掲載されている。見苦しい限りだ。
舛添要一氏の経歴を見てみると、確かに優れた才能と実行力を持った御仁であると思う。ただしこの人には、「こころ」がない。上に立つ人に最も必要な、「こころ」を舛添要一氏持ち合わせていない。AI(人工知能)ロボットでは、政治は出来ない。政治は、人が人のためにやることです。
稲盛和夫塾長は、人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力 という方程式を用いて「人のありよう」を解説している。舛添要一氏には立派な能力と、少しそれた熱意はあると思います。考え方は、マイナス100からプラス100まであるのです。当然ですが、まっとうな考え方が一番大切です。