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JALの現場力by金子寛人
先の盛和塾第25回世界大会会場で、金子寛人氏が上梓の「JALの現場力」が販売されていて、私も買ってしまったのです。敗戦後のGHQの方針で、日本国内の航空機はことごとく破壊された。そんな中で、一縷の望みを追抱いていたのが、航空局次長で勅任航空官の松尾静磨氏。後の1961年に、JAL2代目社長に就任している。

松尾静磨氏の在任中、JALは日本経済の発展と軌を一にして、欧米に追いつけ追い越せと邁進する。果たして1983年には、旅客・貨物輸送実績で世界最大の航空会社となった。しかしそんなJALが、2010年1月会社更生法申請を余儀なくされた。再生を託されたトップに、稲盛和夫氏が就任する。

この頃稲盛和夫塾長は、われわれ盛和塾生とハワイにいました。ハワイ塾の開塾式で私もハワイに行きましたが、JAL再生が大きく報じられていて、「流石の塾長も来られないだろうな」と思っていました。ところが目の前に、稲盛和夫塾長がいました。前後に行われた政府主催の記者会見に、新会社のトップがいなかったのです。当然批判もありました。

その後2月から稲盛和夫塾長は、週に2~3回と口では言いながら、ほぼ毎日出社して、おもに京セラフィロソフィーの浸透に腐心しました。また塾長は、「JALは官僚の世界や」とよく口にされていました。先の松尾静磨氏の影響が、ある意味こんなカタチに凝縮されてJALは破綻したのかもしれません。

本の第1部は、「『奇跡の復活』は奇跡にあらず、3万2千人の社員を支える『車の両輪』」でも、第2部の、「最高の財産は社員たち、JALの人づくりの現場」でも、人に関する記述が多い。人間性を問うJALの新体質が、至る所に散見されます。

経営破綻から見事な再生を果たし、数値に基づく経営管理と「正しい仕事は何か」を考え抜く組織風土が定着したJAL。それを安定飛行させたのが、2012年に社長に就任した植木義晴氏。パイロット出身の社長は、勿論初めてです。そして彼は、銀幕のスター片岡千恵蔵の4男坊。慶應義塾大学法学部を1年で中退後、航空大学校に入学。その後JALへ。

私も何度か植木義晴氏と話をしたが、実に温かな人だ。JAL機に搭乗したら、私はまず機内誌の社長のページを読む。JAL再生においては、JALフィロソフィー(京セラフィロソフィーを基礎として独自制作)に加え、京セラの「アメーバ経営」をベースにした「部門別採算制度」で部門事の収支を見える化し、リーダーの経営意識を高めたことがよく知られています。

財政面だけで言えば、航空機や関連会社を売却したこと、金融機関からの支払い免除や従業員の一定数解雇等である程度の再生の目処は立っていたとも言われる。これに対して本の中で植木義晴社長は、確かにアメーバ経営とJALフィロソフィーがなくても、構造改革で短期間の利益は出ていました。管財人の方々にご支援いただいたお陰です。

同時に管財人からは、「会社更生法はものすごく強烈なカンフル剤だ。だがそれを適用された企業のうち、再上場を成し遂げたのは9社しかない。残りの130社の半分は、既にもうマーケットから消えている。植木さん、構造改革だけではこの会社は立ち直れない。そこに意識改革が一緒になって、初めて継続性のある会社になれる」と言われた。

管財人は構造改革の指揮は執れるけれども、意識改革の指揮は執れないのでそのために稲盛さんに来ていただく。「でも実際にやっていくのはあなた方自身ですよ。意識改革が出来なければ、この会社は二次破綻になる。これまでの歴史が既に証明している」。植木義晴社長は、なるほどと思ったそうです。




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| 社長日記 | 09:02 AM | comments (0) | trackback (0) |
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