一会会は、『いちえかい』と読みます。『一期一会』から命名しています。元は,香川県中小企業家同友会高松第四支部の会員です。幹事は山本陽一さんと冨山稔さん、国方美紀さん、ご本尊が岡田定雄さんです。今日の話で思いだしたのですが、今から20年近く前、会員の松井節子さんの退会を機にまた年に一度は会いたいねと話がまとまり、その時の支部代表が音頭を取って今に至っています。その時に、確か山本陽一さんが『一会会』と名付けたと記憶しています。
この会も新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、3年間の計6回くらい流会になっています。前回は、岡田定雄さんが徳島のお嬢さんのところへ移住するとして、送別の意味を込めて開催し、そのまま開催することがなく、本日岡田定雄さんの出席を得て再開となりました。今も昔も、旧高松第四支部は岡田定雄さんで持っています。
あれから4年ぐらい、岡田定雄さんは予想以上に元気そうでした。80歳を越えて、昔の暴飲暴食が嘘のように規則正しい生活で適度の運動も出来ているようです。それぞれが近況を話しますが、私のように小病を経験しながらそれでいて今なお元気という者もいたり、あれから数名が彼岸に渡ったりしていたりします。黙祷も、身近に感じます。夫婦別れた者もいたり、再婚した人もいたり、悲喜こもごもです。
私にとっても、経営の勉強のイロハはここ香川県中小企業家同友会高松第四支部でした。印象深い葉佐昭紀さんの逝去と、悲しいこともありましたが、21時過ぎに勉強会が終わり、それから飲みに行ったり若かったあの頃の学びは、未だに基本となっています。その後の学びが、実践経営学としては上ですが、最初の入口がなければ当然今はありません。経営と人間学を学びました。
この会も、私には『良い波動の場』であります。本音で語り合ったあの頃でした。私は岡田定雄さんに食って掛かっていました。ハチの武蔵が、ガリバーに喧嘩を売って、そのたびに叩きつけられていました。同友会は、代表だった三宅昭二(三豊支部)さんと岡田定雄(高松第四支部)さんが二枚看板で、負けず劣らず近づきたいと焦っていました。私には、ひとかどならずお世話になった恩人であります。
もう一つ、大いなる反省があります。樋口浩良様に「祝賀会に呼んで欲しかった」と言われてしまいました。この件は私も大いに悩みました。樋口浩良様は20/4/29旭日小綬章を受賞され、祝賀会に私も呼ばれています。掟破りの私ですが、この件はこれから先も後悔することでしょう。感性的な悩みはしないと言われながら、小人の私がいます。