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第29回オイスカ四国のつどい
恒例の公益財団法人オイスカ四国支部が主催する標題のつどいが、中野悦子オイスカ理事長臨席のもと、ホテルパールガーデン(高松市福岡町)で開催されました。午前中は『四(研修)センターセッション』、昼から『討論セッション』とここまでは内向きの、国内4つの研修センターの抱える問題やこれからの10年間の先行き予想などが討議されました。オイスカ専従職員と、われわれのような四(研修)センター地域ボランティアが、意見を交わします。

オイスカは中野與之助初代総裁から、日本軍が先の大戦で蹂躙した地に米を植え、作物の種を蒔き、木を育て、人材も育成して60年間やって来ています。1961(昭和36)年、『すべての人々がさまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り育てようとする世界』を目指して設立されました。その後公益財団法人オイスカは、1969年にオイスカ・インターナショナルの基本理念を具体的な活動よって推進する機関として生まれ、主にアジア・太平洋地域で農村開発や環境保全活動を展開しています。

特に人材育成に力を入れ、オイスカの研修を終了した現地の青年は、各地で地域開発に取り組んでいます。国内では、農林業体験やセミナー開催などを通して啓発活動を積極的に進めています。植林では国内の『山林SUN体験植林』、海外での『子供の森計画』に初年度より本格的に取り組んでおり、これらの活動は、各推進協議会、四国研修センターと緊密に連携しながら行っております。

四国研修センターの研修宿泊施設は、1961(昭和36)年にオイスカが中野與之助初代総裁の手により発足して僅か7年目の1968年3月に、高松市香南町の冠櫻神社の境内の一角に建てられたプレハブに始まります。その後13年が経過した1981年12月、綾歌郡綾川町の丘陵地に新築移転し、今年2023年に新築から42年を経過し、全国からの資金援助を受けて大規模修繕を施しさらにこれからの50年態勢ができました。初期から1600人(全5000人)の海外研修生を受け入れ、寝食を共にしながら研鑽を積んできました。

オイスカ歴10年の私は今日のセッションで、オイスカの人材育成は農業分野が対象と思われがちですが、海外研修生の受け入れの歴史は、工業分野の研修からスタートしたことを知りました。1963年、フィリッピンのマプア工科大学からやってきた6名がオイスカの研修生第1号だと学びました。戦後に飛躍的発展を遂げた日本の原動力を学びたいという思惑が送り出し側の最大の目的だったため、受け入れ当初は機械工業や陶磁器、工作機械や自動車整備といった技術の取得が出来る企業に委託をして、研修を実施していました。

恥ずかしながら初手は工業系だったと知った私のところに、㈱クロダ会長・黒田俊英さんがわざわざ来て下さいました。クロダは古くからの手袋製造業で古くは県中小企業家同友会で、最近はオイスカ高松東推進協議会冨田義雄会長を窓口に、オイスカ『技能実習生』の受け皿として、さらにインドネシアのロンボクに学校を寄付するのに長尾ライオンズクラブと共にオイスカも協力していますがその中心として、クロダは活躍されています。

共にこの先長くないので、今のうち少しはお役に立って彼岸に渡りたいと考える二人であります。今日の研修生活躍事例紹介では、受け入れ企業として1990年代からオイスカ技能実習生(早くは研修生)を受け入れている、『うまいキャベツ㈱竹内農場』の2代目竹内一之さんが事例発表されていました。幼い頃から外国人研修生が家にいたと言い、讃岐にあっては大規模農業と言われる規模に挑戦されています。愚息の話題も出て、大変嬉しくなりました。

これまで日本での研修を修了した訪日研修生をオイスカではOB・OGと呼び、現在その数は46カ国・地域の5千人以上になります。海外の活動拠点である研修センターの運営や、91年にスタートした『子供の森』計画の実施には、こうしたOB・OGの存在が欠かせません。二人目の事例発表は、研修生OGのガディさん。マレーシア・サバ州出身で、現在四国研修センターの研修担当をされていますが、先の大名行列まつりで販売した『エスニックカレー』の調理責任者です。

まつりの帰りに研修センターまでお送りしたのですが、車内に『さだまさし』のCDをかけました。彼女曰く「日本語研修にはこのような音楽が良い」と言うので、今日CDをプレゼントしました。この先10年、オイスカも本部啓発普及部兼関西支部事務局長・吉田俊通氏の言うように人材不足でまさに前途多難。それでもわれわれに出来ることは右往左往ではなくて、賽の河原の石積みつまり会員増強だと思います。10年先のことは誰にも分からない。今日を一生懸命やったら明日に続く。







オイスカ香川県青年会浪越大樹会長・乾杯 三豊推進協議会稲田覚会長・閉会挨拶

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| 社長日記 | 10:44 AM | comments (0) | trackback (0) |
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