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療育~親子の物語by高松フェニックスLC
愛媛県新居浜市に生まれた石村嘉成さんは、2歳半で自閉症と診断された。認知の障害があり、コミュニケーションが出来ていない。と言うことは、人とのつながりが出来ない。重度の障害を抱えてこどもを、母親と父和徳さんは、どのように向き合っていくべきか、取り組みはどうあるべきか原因を深く洞察し、積極的に対応する。その物語が語られる。

自閉症児の育児と教育の困難は、『認知機能の障害』に起因する。
(一時的障害)
脳に何らかの障害
    ↓
(二次的障害)
知恵の遅れ、言葉の遅れ、運動機能の遅れ
    ↓
(三次的障害)
①身辺の自立が出来ていない 遊べない
②かんしゃく、甘え、わがまま
③偏食、虚弱、虫歯、肥満、便秘
④未学習にされるー教育を受けるチャンスを失う

両親特に母親は、嘉成君の療育に腐心する。医師の河島先生に出会い、脳の障害は容易なモノではなく、障害児は育てにくく歪みやすい。この子どもたちの育児と教育には『適切さ』と『一貫性』と『継続的』のすべてが必要で、しかも『徹底して』行われたとき、療育の効果が生まれると学ぶ。

具体的に母親は、嘉成君を小学校の普通教室に入れる。そして横につく。一年生の最初は、まず席に座れない。それでも根気よく、着座させる。学校へ送り届けたら安心では決してない。障害児と親の根比べ、泣かないようにと、ただひたすら子どもの要求のまま、嫌がることを一切させず、過保護に可愛がる育て方をすると、未成熟なまま、大きな歪み(二次的障害、三次的障害)をつけて手がかかり指示に従えない、集団行動が取れない情緒不安定な人間に育ってしまう。

母親は自身40歳、嘉成君が5年生の年に癌で死去。母親は「私が育てなければ、この子は生きて行けない」と強い自覚を持ってそれまで育てた。『母親が変われば子は必ず変わる。母が育てば子は必ず育つ』。その後は父和徳さんが、二人三脚で療育に取り組む。中学校へは片道4キロを、親子で自転車通学、父親は一日2往復3年間。勿論無遅刻無欠席。

そして新居浜商業高へ進学。そこで美術に接し、作品展で入賞する。このプチ成功体験から、2013年第2回新エコールドパリ浮世・絵展ドローイング(作図)コンクール入選、審査の結果、優秀賞を受賞となる。父和徳さんは、『叱らないけど譲らない』、『無知なる愛』が一番いけないと言う。

子・石村嘉成さんと父・石村和徳さんの、トークショーとライブドローイングでしたが、子の話しは午前中の畑仕事もあって寝ていて聞いていませんでしたが、父親の話にはなぜか目覚めて涙ながら聞き入っていました。決して障害児と父親の特別の子育て論ではなくて、私も子育ての頃を思いだしました。もっともっと、かかわってやれていたらと猛反省。産んだら育つぐらいにしか、かかわっていません。申し訳ない、今からでも子育てがしてみたい。長男が立てた墓石を磨きながら、あの頃を思いだします。



親の道を教えてくれた河島先生は、「知識ある愛、行き届いて」をモットーに「ゆとりを持って、マイペースで、子どもの能力を見極めながら、希望を持って、子どもに敬意を抱きながら、面白がりながら、苦しみながら、可能性を信じて、徹底的に、知識を広げ、思索し、人生観や宗教観を深めながら・・・。」

『鬼手仏心』きしゅ‐ぶっしん
誰かを救うために、内心は慈悲に満ちているのに、外見は傷つけているようにしかみえない手法を採るときの有様を言う。外科手術は体を切り開く様が鬼のように惨酷に見えるが、その心には患者を救いたい仏のような慈悲心に基づいているということ。

高松フェニックスLCは、障害児救済を部是としている。高松養護学校でレオクラブ結成に尽力し、独自のWE SERVEを実践しています。ドローイングは、版画を仕上げる作業。あっぱれ青年の立ち姿でした。





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| 社長日記 | 10:31 PM | comments (0) | trackback (0) |
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