町内回覧板に写真の『龍雲vol.135』が、『PTAお知らせshi隊』の編集で発行され他の広報誌と一緒に挟まれて届きました。『龍のように飛躍する年に!』と大書され、その下に全校生徒と職員の笑顔で、上下の桜と見事にマッチしています。私の母校でありますが、県一四国一位の生徒数を誇るまでに大きくなっています。驚きであります。
1961(昭和36)年4月1日(63年前)に市立三渓中学校、市立仏生山中学校、市立多肥中学校を統合して開校されました。これらの中学校は、1956年に高松市に合併された旧木田郡三谷村、旧香川郡仏生山町、旧香川郡多肥村の町村立中学校でした。私(8期生)が在学中の昭和44年頃に対外試合に行くと、(市内一のマンモス校だった)「紫雲中の分校か」と揶揄されたものでした。
生徒数1098人(2022年10月現在)は、まだまだ増えています。このエリアは高松市の南部の中核住宅地として、高松市立地適正化計画で南部の拠点として整備が進んでいます。裏を返せば、計画地外では今後の住宅地開発を抑制します。なぜなら、上下水道などのインフラ整備の新規は、現存の施設改良のために膨大な予算が見込まれており、新たな敷設はできませんと高松市は宣言しています。
このような変化を、私はかねてから『新幹線図』と名付けて観ています。東海道新幹線は16両編成の長い車列です。先頭の1~2両がピークを越えて下がりだしても、続く車両はあくまでもピークを目指して駆け上がります。工事に着手していない現場でも、すでに許可を得ているものもあり、2~3年はこの傾向は続きます。新規開発計画地は道路幅員5M以上を要件とし、法律で求められている道路幅員4Mでは開発計画は認められません。
この龍雲地区を校区とする龍雲中学校ですが、まだ数年は生徒数が増えてもその先は減少します。教育業界では『減少』を考慮し、教室数などを配置してたちまちの不足に対処しています。もともと子どもの教育には熱心な地域であります。校名は初代高松藩主松平頼重公の法号「龍雲院殿雄蓮社大誉孤峯源英大居士」に由来しています。
龍雲院殿は「りょううんいんでん」と読みますが、龍雲中学校は「りゅううん」であります。私も多感な3年間お世話になり、子どもも登校したことから、PTA会長もやりました。生徒は、多方面に活躍しています。写真からパワーを感じ、元気をもらいます。写真右は、仏生山小学校の広報誌です。