遠路大勢の方にお越し頂き、私の会長就任と賢士の社長就任のパーティーを、高松ロイヤルパークホテルで開催しました。ご臨席のお客様が予想より多くなり、主催者としては嬉しい悲鳴でありますが、お客様には大変不便な思いをさせてしまいました。紙面を借りて、深くお詫び申し上げます。
パーティーは社員全員の手作りでしたが、本当に創意工夫の良い作品でした。その内容を、私は全く知りません。何も聞かされずに本番に臨んだわけですが、私は日頃から「多能工になれ」と口酸っぱく言っていますが、全員が見事に多能工を演じてくれました。
特に総務の大西さんは、その中心になって大車輪の活躍でした。新会長が自分の会社の社員を褒めてもはじまらないと思いますが、考えてよく作り込んでいます。少々長いのに難がありましたが、素人細工ですから、それも許されると思います。ウエルカムドリンクは用意しましたが、乾杯まで50分というのは、政治家のパーティのようでした。
司会はプロをお願いしましたが、それ以外のところは手作りで、サプライズゲストは同級生で音信不通になっていた大北敏博氏でした。大北敏博氏は、高商を卒業して巨人軍に入団し、内野手として活躍しました。彼と同級生の私を、3度甲子園へ連れてってくれました。
私はその昔、麺業の傍ら趣味で地元タウン誌の原稿を書いていました。折しも私の企画した「草野球」シリーズがあたり、その延長線上で「巨人軍43大北敏博選手」の取材で後楽園へ行ったことがありました。巨人軍の腕章をつけて、選手専用のトイレで、「王貞治(巨人・ダイエー)」氏のサインをもらいました。
その前学生の頃は、大北によく奢ってもらいました。しかしその後、巨人軍大北敏博氏の話題が報じられなくなって、大北からの連絡も途絶えました。その後、もう30年近く音信不通でした。高商紫雲会名簿にも、野球部も消息を知らないとのことでした。
今は横浜でサラリーマンをしているというのですが、私は今流行のフェースブック等で偶然大北敏博を見つけたのかと思いきや、総務の大西香子さんが、読売新聞を通じて巨人軍に尋ねたようです。流石巨人軍では、退団者の消息も掴んでいたようです。
しかしよく考えついたものです。「考えよ」とよく言っていますが、参りました。私もこの手は、気がつきませんでした。サプライズゲストも大変驚きましたが、オーナー代表臼井忠義さん、初回から参加の香西昇調査士、退社社員の中條伸一、永尾裕子さん、学友の武藤忠数が登場したビデオレターも嬉しかった。
音楽性と物語性、構成と個人技が揃った結果が良いものになると板東玉三郎氏の言葉ですが、まさに四拍子揃ったものでした。正直わが社員が、これほどまでにやるとは、また出来るとは思っていませんでした。可能性に挑戦していました。その他総務というのがわが社の方針ですが、大満足しました。
陰に隠れてしまいましたが、次男誠之も独立開業で松野不動産(株)を離れます。㈱ライブイノベーション代表取締役社長の名刺も、大変良く出来ています。同友会4支部や同友会青年部の仲間にいろいろ頼んだみたいです。新しい酒は新しい革袋に詰める、それぞれが羽ばたいた吉日となりました。ありがとうございました。