今から数時間後に、カオハガン島を船で出ます。予定では3時に起床、3時半には出航と聞いています。ここで大波をかぶると先人の湯川正から聞いています。従って私もここは覚悟しています。空港で着替える予備も、用意しています。来るときも波がドンブラ、もうここは慣れました。
最後の1日でしたが、私の関心事は、まず日記を上げること。これは今回ほんの少しですが苦労をしました。否定語は禁句ですが、思わず使ってしまいます。日記も連続して12年ぐらい毎日書いていると、書かないと(上がらないと)何だか調子が悪いのです。
特に海外へ出たときは、アップすることに情熱を燃やします。今よりもっと困難な時、場所が有りました。それでも何とか毎日(遅れる日もありました)上げてきました。今では読む方も真剣ですが、書く方もますます真剣になっています。特に即今、千名の皆さんがここにアクセスされています。
私からすれば、皆さんの大切な時間を申し訳ないと思っています。日本にいると8時くらいに上がるはずですが、そうも行かないときもあります。朝からのせめぎ合いもあります。しかし12年も経過すると、何で覗きに来るの?もう良いでしょという気にも正直なります。
やがて動画も紹介できると思いますが、ここはとにかく文章だけでも上げることです。それが私が元気だという証明になります。ここフィリッピンは治安もそう良くはありません。心配してくれる人も1人か2人はいると思います。私の毎日は、拙文ですが毎日アップすることです。
今日も島民の皆さんの生活ぶりを、つぶさに見てきました。午前中は小学生たちの健康優秀者の表彰でした。村長やら、その父とか、また観ている人の数が半端ではありません。島を上げての学習参観日のようです。こういうパフォーマンスを、フィリッピン人は幼少の頃から得意ですね。
健康優良児コンテストは、カオハガン島ステージという場所があって、そこに120人の小学生が全員集合しています。カオハガン島の人は音楽が好きです。島全体の電気は15時からと決まっていますが、学習用の小学校の電気は別のようです。
これも日本へ帰ったら、動画で皆さんへ披露します。昨日の誕生日パーティーも盛り上がりました。誕生日を迎えた子供の親は、感謝を込めて大勢に大判振る舞いをします。みなさんに誕生日を祝ってもらうわけです。これは西洋の習慣のように言われています。
午後からは島のスターのきひ語りを堪能しました。48歳でイケメンの「ランド」、9児のパパです。彼自らワンルームのマイホームで、どうして9人生まれたかをギター演奏の合間にガソリン(ビール)を飲みながら語ってくれました。彼の子供さんは年長さん22歳、3人の子供をハイスクールへ行かせたと意気揚々でした。
このように私ははじめてカオハガン島へ渡り、その現状を見てきました。髙松栗林ライオンズクラブが結成50周年記念アクティビティーで、カオハガン島の図書館へ初めての寄贈をして、子供たちはこれを使ってくれています。本当に「役に立ったか」、もちろん大いに役に立ったと確信しました。
図書館へは別の思いも託し、稲盛和夫塾長の本も新たに贈りました。すぐには読めなくても、3年5年10年後には必ず読んで、その気になってくれる若いパワーが台頭してくると思います。その時では間に合いません。今贈っていて、その時に読んでくれたらありがたい。
この時期のカオハガン島は天候不良で、今夕初めての夕日を見ました。ドラム缶風呂も見ました。島の水は基本的には雨水です。飲むのはミネラルウォーターを買いますが、風呂は海水です。それを沸かして入ります。夕日を背に、ビールを飲みながら入るのがツウだと女の子に言われました。
ここは確かにリピート客が多い。私のような初心者は、逆に少ないのです。それも女性が圧倒的に多いようです。女性は、ここでも元気です。