もし今、本当に苦しくて、逃げ出したいと思う人がいたら、是非ご一読頂きたい。あなたの中に、熱い力がみなぎり、希望の光が見えてくるでしょう。全盲の現役弁護士の大胡田誠(おおごだ・まこと)が、2012年3月に日経BP社から上梓した本です。
「あきらめない心の鍛え方」と副題のついた、サクセスストーリー(成功談。出世物語。)ですが、ここには、まったく嫌みがありません。今の日本で障害者は一体どのくらいいるのだろうか。その人へのエールであるが、同時に私のような健常人への教えでもあるように思う。
日本には身体障害者が約366万人、知的障害者が約55万人、精神障害者が323万人暮らしている。中には1人で複数の障害を持つ人もいるだろうが、単純に合計すると約744万人になる。これは総人口の約6%で、およそ17人に1人が障害者ということになる。
両親のことと仕事のこと、子どものことが多く綴られているのだが、先天性の緑内障で12歳の時に両目の視力を完全に失った大胡田誠さん。勿論頑張り屋さんだが、7歳で父親と富士山登頂し、失明した後も、山歩きはやめなかった。
障害があるとなるほどそうかも知れないが、人は無意識のうちに、「自分にできるのはここまで」と限界を線引きしている。でも大概は本当の限界はその先にある。山ではそれを教わった。両親は息子たち(3歳下の弟も全盲)に、障害者として特別扱いしないという「特別の配慮」をしてくれた。
感謝は、両親がそんな僕のことを静かに、そして辛抱強く見守ってくれたことだった。勉強が思うようにはかどらず、家で所在なくしていても、決してそのことを責めたりしなかった。ただ一言、「人生で迷った時には、自分の心が「暖かい」と思う方を選びなさい」とだけ。
息子の将来には大きな不安を感じていたはずで、それでもつかず離れず見守り続けるというのは、大変な忍耐が必要だったに違いない。白杖を使って歩く練習もしたが、見えていたときの感覚で歩くものだから傷が絶えなかった。
しょっちゅうどぶに落ちたり、電柱に額を打ち付けて血を流したりして周りを心配させた。そのたびに自分が惨めに思えて悔し涙があふれた。危機管理で明大教授は、子どもはこれまで出来なかったことが出来るようになってけがをする。年寄りは、これまで出来たことが出来なくなってけがをする。
そんなある日学校の図書館で、夏の読書感想文を書くのに手頃な本を探すため、背表紙の点字を指でなぞっていたとき、「ぶつかって、ぶつかって」という本に出会う。81年に日本で初めて点字で、司法試験に合格した竹下義樹という全盲の弁護士の手記だったのです。
その本には、当時はまだ点字での試験が認められていなかった司法試験の門戸を仲間とともに開き、9回目の受験で合格するまでの道のりが綴られていた。失明したことで自分の未来まで失われたように思っていた僕は、とてつもない衝撃を受けた。
視覚障害があっても、諦めさえしなければ、健常者と肩を並べて生きていくことが出来る。そればかりか、自分の力で社会的に弱い立場に立たされている人を助けることも出来るということを教えられた。そして僕も、なんとかして弁護士になりたいと思った。
弁護士という目標は、全盲という障害を背負ってコンプレックスの塊になっていた僕にとって、再び誇りを取り戻すための大きな心の支えになっていった。障害者はどうしても社会から孤立してしまいやすい。誰かの悪意によって追い詰められることがある。
障害の実情を知ろうとしなかったり、思い込みや偏見で判断したりする、ささいな無理解や無関心の積み重ねによって、居場所を失ってしまうのだ。竹下義樹という全盲の弁護士を訪ねた大胡田誠氏は、弁護士の仕事は、法律に「人格」を乗せて売る商売なんだと教えられた。
だから君も、いろいろな経験をして自分を磨きなさい。この言葉は、今も肝に銘じている。僕らは、自分の弱さを抱えて生きている。僕らに出来る最も正しいことは、弱さが自分の中にあることを進んで認め、正面から向かい合い、それをうまく自分の側に引き入れることだけだ。
弱さに足を引っ張られることなく、逆に踏み台にして組み立て直して、自分をより高い場所へと持ち上げていくことだけだ。そうすることによって僕らは結果的に人間としての深みを得ることが出来る。
逃げずに、弱さを一度は受け止めて、そして自分を信じることだ。自分を信じる力は、それまで積み上げてきた努力の量に比例する。だから、最後の最後で自分に負けないための努力を日々しなければと思う。
僕はこれまでの人生や仕事を通じて、ある1つの真理を見つけた。それは、人と人とはいつも鏡映しの関係にあるということだ。相手がなかなか心を開いてくれないと感じるときは、たいてい自分が力んでいたり、変に構えていたりするものだ。それが、相手にも伝わる。
だから人から理解してもらいたければ、まず自分が相手を理解することだ。信頼してほしければ、まず信頼することだ。好かれたいのならば、好きになることだ。