2024,05,02, Thursday
またやってしまったと感じたときは、もう遅いのです。本当に『瞬間的』,彼女はやって来ます。別名『悪魔の一撃』と言うそうですが、このところ2~3年ごとに体験していますが、今回のこれから何かを学びたい。この会長日記を検索してみれば、2023年8月31日朝、靴下をはいていてギックリ腰になったと自ら告白しています。
前回はユーチューブを観て、自然治癒に励んだようですが、怖いのはあれから2年どころか8ヶ月しか経過していないのです。スッカリ慢性化しています。今回はユーチューブも閃いたのですが、かみさんが「ゆみこさんの施術が良かった」と言っていたのを翌日思い出し、負傷からまる24時間後になりましたがカイロプラクティック施術に行ってみました。「ゆみこ」さんは大恩あるガンさんの長女、「めぐみ」さんの友だちです。 カイロプラクティックは、身体の構造と機能に注目した手技療法を特徴とするヘルスケア(広義の医療)です。主に脊椎やその他の身体部位を調整することにより、痛みの軽減、関節可動域や機能の改善、身体の自然治癒力を高めることを目的としています。主に手技や器具で矯正することによって神経系に働きかけ、姿勢を改善したり、痛みを緩和したりする施術のことを指します。カイロプラクティックは予防医学としても利用されており、健康管理に役立つ方法として注目されています。 まず彼女のアドバイスは、「水を毎日2リットル飲むように」。そして「深呼吸」です。深呼吸はテレビ体操でもやるように言われていて、鼻から吸って口から吐く、あれです。ベストセラー『無敵の100歳』を書いた美木良介氏も、「120歳まで生きるためのロングブレス」を先に上梓し、『息を吐く』ことを力説しています。作家・石原慎太郎氏も晩年、吐く息が健康の秘訣だとはいていました。あの激務で、90歳近くまで長生きしています。 ギックリ腰は『腰のねんざ』ですから、「冷や」すと良いですね。施術の予約を入れたときに、「シップ剤で冷やすようにかみさん経由で連絡が入りました」。この3つが、今回の災害から得た新情報です。加えてもう一つ、予防対策の『ストレッチ』ノウハウが必要でしょうね。身体が硬いのです。筋肉は年並みにあるようですが、身体が硬いというのは、身体のバランスが悪いのですね。これからの課題は、身体を柔らかくする『水飲み』と『ストレッチ』でしょうかね。 1年経過し、効果があれば小欄でまた報告します。今回は4月30日の退社前、腰をひねってからの戦いですが5月1日に施術して、すぐには好転しません。むしろ翌日は『もみ戻し』というか、逆効果のように感じることがあるのですが、2日は自宅でゴロゴロしていました。ただ横になるとだらけそうで、意識して通常生活に努めます。そして3日目の起床、随分楽になりましたが患部は相変わらず痛い。 水を一日2リットル飲むと、夜のトイレを2度3度ほど行くようになるのが辛い。スマホのデーターを見ると、5度も目覚めています。通常夜中に、これほど起きることはまずありません。明らかに水の飲み過ぎですから、2リットルの摂取時間配分が必要なことが分かります。当然、目覚めてからトイレまでの行程がまた苦しい。明日3日は、春の高校野球四国大会決勝戦が松山市の坊ちゃんスタジアムで予定されていますが、明日はケーブルテレビ観戦記を書きます。 |
2024,05,01, Wednesday
総務省が30日発表した住宅・土地統計調査によると、全国の空き家は2023年10月1日時点で900万戸になった。5年前の前回調査に比べ51万戸増え、10年前から80万戸増え過去最多を更新した。10年前の820万戸で、世間が騒然とした。住宅総数に占める割合(空き家率)は0.2ポイント上昇し、過去最高の13.8%で、約7戸に1戸に当たる。個人情報保護法から所有者特定の難しさがあり、解体や利活用が進まないのが要因とされている。
空き家で多いのは、単身高齢者らの死亡や介護施設入所の後、そのまま放置されたケース。比較可能な1973(昭和48)年の空き家率は172万戸、空き家率は5.5%だった。1993(平成5)年は448万戸で、空き家率9.8%だった。想像出来るように、年々歳々空き家が増えている。政府は2023年末つまり昨年末、『改正空き家対策特別措置法』を施行し、対策を強化している。 空き家には、複数の種類があるという。900万戸の内訳は、借り手が見つかっていない賃貸物件が443万戸で最も多く、売却用33万戸、別荘などが38万戸。これらに該当せず、使用目的がない物件は37万戸増の385万戸で、行政による空き家対策の主な対象となる。この割合は鹿児島、高知、徳島、愛媛が高かったが、香川も大差はない。 国内の住宅総数は6,502万戸で、261万戸増えた。私の周りでも、新築家屋は確かに増えている。高松市も国の政策に呼応し、『コンパクトエコシティー構想』を掲げ郊外の住宅化に歯止めをかけているが、過渡期は逆に一時的にその数は増える。新築住宅には人が入るが、親の家・実家の既存住宅は、時間と共に空き家に変貌する。 仕方がない自然現象だと言ってしまえばそれまでだが、考え方の多様化というか、若者層のわがままともとれる。自由闊達に働き稼ぐ子ども世代はそれでも良いが、これまでの35年ローンに対して新しいモノは50~60年ローンまで組成されている。35歳でローンの返済を初めても、50年だと85歳まで返済が続く。勿論繰り上げ償還も出来るだろうが、退職後の返済は塗炭の苦しみだろうと想像する。 わが社の優秀な社員の中にも、大学時代の『奨学金返済』に苦しんでいる者がいる。若くしても返済は苦痛だ、老いて返済はなお辛い。使わない家屋は直ちに売却すると良いのだが、これとても、言うは簡単だが実際にやるとなれば兄弟間の軋轢も邪魔をする。加えて売却の際に、解体を余儀なくされる場合がある。この解体費が、その不動産価格より突出する場合が多くなっています。 ある意味高度経済成長期の揺り返しですが、人口減少、消滅自治体が現れるとなると、評論家論つまり総論賛成各論反対、つまり自分にとってだけの損得勘定だけで判断するのではなく、もう一歩あの世の考え方に近い、世のため人のために尽くすという考え方もありかなと考えています。 |
2024,04,30, Tuesday
『虎に翼』の主人公三淵嘉子氏は、日本初の女性裁判所長として活躍された女性ですが、女性身分の確立が始まった頃から先頭を切って、法曹界をひた走った女性であります。今さら私が説明するより、朝ドラを観て頂いたほうが良いのですが、沢山の三淵嘉子氏紹介の図書の中から、写真の1冊を通販で購入し、粗々と読んで見ました。
我田引水ですが三淵嘉子氏は、明治大学専門部女子部出身者として、明治大学の公式SNSでも毎日書き込みがされて賑々しい。テレビ小説では、『明律大学女子部』となっていますが、明治大学関係者間では大変盛り上がっています。大学は学校の人気があがると、受験者数が格段に増えます。今の時代、定員数を大きく超える合格者発表が出せなくなっています。私の頃は、定員の倍くらいの合格者を発表していた?その翼の先端に、かろうじて私がへばりついていたのでしょう。 要するに本当に入学するつもりの学生に、合格を出したいわけです。その勢いのバロメーターとなる『人気』では、青山学院の箱根駅伝での活躍等も、受験者数増に大いに貢献しています。NHK連続テレビ小説の製作に、明治大学もおおいに協力しているのも、そのような背景があるようです。 ところで現在の日本での女性法曹界の割合は、弁護士で約20%、司法官(裁判官・検察官)で約22%であり、依然として男女格差が大きい。とは言え、かつて男性が独占していた法曹界において、初の女性弁護士が誕生したのが1940(昭和15)年6月、初めて司法官に任用されたのは1949(昭和24)年4月のことですから、およそ80年の歳月を経て、ようやく女性法曹の割合が約20%に達したことになります。 女性の高等試験司法科受験が認められて3年目の1938(昭和13)年11月1日、司法省は、明治大学専門部女子部および明治大学法学部を卒業した田中正子(後姓・中田)と武藤嘉子(後姓・和田、三淵)、そして明治大学法学部在学中の久米愛(旧姓・保原)の三人が、高等試験司法科に合格したと発表した。(合格者総数242名) 彼女ら三人は、一年半の弁護士試補の修習を経て、1940(昭和15)年6月に各弁護士会に登録、女性弁護士がついに誕生したのです。弁護士とは対照的に、高等試験司法科に合格しても女性が司法官(裁判官・検察官)に任じられることはなかった(明文規定はなく慣習上の運用であった)が、第2次世界大戦後になると、日本国憲法第14条の男女平等法理の下で、ようやく女性の任用が認められるようになった。 1949(昭和24)年4月と8月に石渡満子(明治大学出身)と嘉子が判事補(1952年私が誕生した11月嘉子が判事に昇進)に、同年11月には門上千恵子(九州帝国大学出身)が検事に任用され、さらに1972(昭和47)年6月、嘉子が女性として初めて裁判所(新潟家庭裁判所)所長に就任するに至るのです。 このような相手任せの人気昂揚の今、第60回明治大学全国校友会香川大会が今年9月28(土)・29(日)、サンポートホール高松(大ホール)やJRホテルクレメント高松で前夜祭・記念式典・記念講演会・懇親会が予定されています。明治大学校友会香川県支部(図師泰副支部長)会員は、年相応に頑張っています。今日も、手前味噌の会長日記でありました。 |
2024,04,29, Monday
干し柿(ほしがき)は、柿の実を乾燥させた食品で、ドライフルーツの一種です。日本、朝鮮半島、中国大陸、台湾、ベトナムなどで作られています。干し柿に用いられる柿は、そのままでは食べられない渋柿です。乾燥させることにより、渋柿の可溶性のタンニンが不溶性に変わり、渋味がなくなり、甘味が強く感じられるようになります。また、その甘さは砂糖の約1.5倍とも言われています。
ここ2~3年、香川町と塩江町道の駅で渋柿のできるだけ大きいモノを探して買い求め、かみさんがTVを観ながらひたすら皮むきをして、物干しの片隅に2~3ヶ月つるしておきます。なかには皮をむかずにそのまま吊して失敗したとも聞きますが、料理方法はこの皮をむくという至ってシンプルな方法です。アルコールに漬けるというのも聞きますが、わが家はむいて吊すだけであります。 乾燥させずに生食される甘柿とは風味や食感が大幅に異なり、甘柿が苦手でも干し柿は平気で食べる人もおり、逆に甘柿が好きでも干し柿が苦手な人もいることもあります。表面に白い粉が付着していることが多いですが、これは柿の実の糖分が結晶化したものです。カビではありません。風通しも大切で、温度が下がらなければ、カビが生えることもあります。 干し柿は、平安時代中期の法典「延喜式」に祭礼用の菓子として記載されています。保存が可能であったため、非常食としても用いられていました。甘味としても重宝され、古代の中国では干し柿の表面につく白い粉「柿霜」が砂糖代わりに使われていたと言われています。干し柿は、吊るし柿や串柿として知られ、季節の風物詩としても親しまれています。 今では軒下に吊す家も見かけなくなりましたが、私は非農家ですが、風物詩としての柿やタマネギの吊るしが気に入っています。もう1ヶ月もすると、少量ですがタマネギの吊しができると思います。先祖伝来のわが畑で、タマネギが生育中であります。タマネギは、「葉が垂れる」と収穫時期だと聞きます。今年始めて作りました。 例年5月の連休は『さつまいも』の植え付けをしていますが、今年は少しずれそうです。晴耕雨読、今の時代、人としてこれに憧れます。もう少ししたら、もう少し畑に行く時間も増えます。不思議とこれもまた楽しいのです。多くの農地を持つ人はやりたがらず、猫の額ほどの畑は、マンションでのプランター家庭菜園の延長です。ないから、やりたくなるのかもしれません。 |