今年12月で最後を迎える高松冬のまつりですが、今日は実行委員会を構成している、高松栗林ライオンズクラブ・KSB瀬戸内海放送・高松市の主管3者代表と、今年10月台湾台中へ「高松冬のまつり団」として行く、歌手のmimikaと高松紫雲ライオンズクラブのみなさんとの交流会でした。
スタートは今から30年前ですから、各位がもっと若かったのです。ママさんコーラスの森岡智子さんの話でも、「団体の名称もママさんコーラスからお母さんコーラスへ、そして今は・・・コーラス」と冗談交じりの本音を言ったり、確かに30年前はもっと元気がありました。
ディレクターの岡内修三氏は、発足当時は高松栗林ライオンズクラブのメンバーでした。今でも現役の、L塩田博志とのコンビで、今日までやってきました。そして私も、30年前からのメンバーです。ただし現役ではありましたが、入会3年目の私は、発足当時の岡内塩田のような、直参旗本ではありませんでした。
今も25年ぶり2度目の高松栗林ライオンズクラブ幹事をしていますが、最初の幹事だった平成3年の第5回の髙松冬のまつりには、長崎県普賢岳噴火で落ち込む島原第4小学校の子どもら12人を高松冬のまつりに連れてきました。大勢の皆様の応援で、彼らがオープニングステージに並んで会場から温かい拍手をうけました。
今年の目玉は、第1回を再現するという岡内修三氏の思いに修練されています。「産んだ者は、終わるときまで責任を持つ」、彼のただならぬ覚悟を感じます。その一つが台湾での、「しあわせありがとう」フレンドリープロジェクト30th企画です。
現地の盲学校・聾学校・家庭訪問を、両ライオンズと地元台中獅子会(ライオンズクラブ)の3クラブと手話コーラスと歌手のmimikaがやります。台湾は日本軍の占領時代があり、押しつけたところもあるとは思いますが文化、今回のメインは「手話」ですが、日本と似ているとして国際交流の舞台に選んだとか。
最終章は、これまでの高松冬のまつりが国内イベントだったのを、次を見据えて国際イベントへの始まりかも知れない。先の小欄でも絶賛した、リオ五輪の閉会式。スーパーマリオの活躍(安倍晋三首相では駄目だ)を、暗示したものになって欲しい。蛇足ですが歌手のmimikaは高松商出身、つまり私の可愛い後輩です。