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カオハガン島の将来最終章
湯川正さんからの、最終レポートが届きました。日本人の崎山克彦さんが所有しているフィリッピンセブ島沖合のカオハガン島。この島に内在している問題を鋭く指摘しています。島民の生活は良くなっているが、過ぎたるは及ばざるごとし。日本への啓示のようにも聞こえます。

これまで、カオハガン島について縷々述べてきた部分は比較的良いことばかりですので、(実際素敵な暮らしぶりなのですが)少し課題といったものについて触れておきます。島の人口問題と教育。そして島の自立維持の為の経済活動についてです。

まずは人口問題と教育についてですが、先に触れたように崎山さんがカオハガン島を購入した1998年頃の島の人口を330人と紹介していましたから、現在の550人という数字は、およそこの14年で倍近くに増えたことになります。

子供

ハンモック

この間、小学校を島の中に創設し、希望する子供にはセブにある中学校に通わせるチャンスも増えてきたと言います。しかし、当然そうした“留学”にはお金が掛かるわけで、こうした費用の捻出に崎山さん個人のネットワークやNPOの資金に協力を追っている部分が多いようです。

崎山さんの考え方の中にはこの島の出身者による、教育、医療従事者を育てたいという想いがあるようで、実際にセブの大学の看護科に通わせている子供もいるようです。

一方でセブ本島のハイスクールなどに通わせた生徒は結果的に、セブでの就職にありつけずに帰島し、先祖伝来の漁業従事に着くことを良しとせず、逆に親たちへの批判精神だけを持つ一種のニートを生んでいることも現実です。

又、日本人篤志家の支援を受けて、カオハガンでの観光事業を託したいと、関西の有名私大に入学させた島の娘さんがいたのですが、期待通りに大変優秀な成績で卒業し、在阪のホテルでの研修も終え、帰島しました。

海から見たカオハガン島

しかし、彼女は高学歴をはき違えた父親によって、無理やり村長選挙に立候補させられ落選。島に居られなくなり、有為な人材を失ってしまったという笑えない悲劇もあるようです。

当然、このような南海の孤島でも世の中の進歩、特にモノや流行に耳を塞がせていることは不可能で、こうした事を承知の上で崎山さんとしては次世代への布石を打とうと努力されていました。


≪共存できる事業≫
彼らの生活とカオハガン(島)の環境を維持しながら、生活を向上してゆく方法として、崎山さんが考えておられたことは主として3つ。

先ず一つ目は、現在のホテル観光事業。これについては既にご紹介してきましたので詳細については省きますが、数年前から、この事業主体を崎山さん個人から株式会社方式に転換し現在は島民従業員10名、その他島民アルバイト10人で運営されています。しかし、そうは言うものの崎山さんを含めた日本チャンネルがなければ完全独立というわけには行きませんので、マネージャーやスタッフを育てながら仮運転中という事なのでしょう。

次にこれは崎山さんの奥さんが中心となって指導し、今や村中の数多くの女性たちが、参加している“カオハガンキルト”というキルトの制作があります。
既にこの名称で日本、台湾、アメリカなどに紹介され販売会なども行っています。

カオハガンキルト

ポンドグ(砂州)に近い林の中に、このキルトを編むためのコゴンという草で吹かれた三角屋根のキルト・ハウスがあり、海に臨むそのワーキングハウスで何人かの島民の女性が集まってキルトを編む姿は何とも長閑で素敵でした。大きいものになると大体3~4か月かかるそうですが、いかにも南国らしい鮮やかな色彩感を持った作品が多く、ハッとさせられるデザインとユーモラスなモチーフが、この島の人たちの穏やかさを表しているように思いました。

三点目は、2008年から崎山さんが取り組んでおられる「カオハガン熱対珊瑚礁保護区」があります。これはセブの「サン・カルロス大学」の海洋生物学部や行政と共に、カオハガン南側の36万平米の海域を珊瑚サンクチュアリとして保護している活動であります。

これは一時期、他の地域の漁民による乱獲や、ダイナマイトを使用した漁法の為に、海洋生物や魚の数が減少してしまい、又サンゴの多くが傷ついてしまったという事でした。

この活動の為、島民による見張り小屋を会場に置き、珊瑚礁の保護・管理を初めて4年、かなりの数の魚が戻りつつあり、珊瑚自体も復活してきたとの事です。

幻の島

過日、崎山さんと、このエリアにシュノーケリングに行った際に、約30~40分ほどの間、崎山さんは潜るわけでもなく、全く同じ姿でひたすらに海の下をのぞく格好で海の上を浮かんでおられました。上ってこられた崎山さんに「育ってますか?」と尋ねると、「かなり大きくなってきました」と言って微笑まれました。

早ければ来年には、このエリアを入域料を取って、海洋生物のある“多様化と共生の海域”として開放し、十数名の島民に管理・警備・ガイドなどの雇用を確保して経済的な自立に繋げたいと考えているようです。

又、カオハガン島から90分ほどの海の真ん中に潮が引くと顔を出す幻の島(砂州)などもあり、約100坪ほどの大きさであろうか、何処からか集まってきた珊瑚の切れ端で出来た島で、轟音を立てる海流の逆側は穏やかな珊瑚の海という不思議な経験もできます。

カオハガン(島)というのはある意味、奇跡のような島です。日本人が購入しているという不思議以上に、崎山さんと島民と自然が合意をした、「共生」という意志を持っています。

このオランゴ環礁の中には、大規模開発のホテル資本が入った後、誰も来なくなってしまった島。カオハガンの十分の一の大きさに、3000人がひしめきあって暮らしている島。人と豚が同じ部屋で、暮らしている島もあると言います。

≪帰路≫                               島での最終日、夕食を終え、(明日朝)夜中の3時頃に迎えに行くと思うという事なので、早めにコテージに帰る。暗闇に怯えながら戻るコテージへの道も、1週間も居ると人間慣れるもので、懐中電灯で足元を照らしながら、幾つかの横道のバリエーションも覚えたりする。

ノックの音は午前3時、声を騰げ、支度をする。ドアを開けると、さすがに眠いのだろう若いジョイ君は頭を抱えるようにして、しゃがんで待っていた。

風と波の関係から、村の北側から船を出すという。真っ暗なニームの林を過ぎ、懐中電灯越しに見える村の建屋の中を歩く。往きと同様に海に入り、小型のアウトリガー舟に乗る。漕ぎ出して暫く進むと崎山さんご夫婦の声が暗闇の中、海岸のあたりから聞こえる。

ポントク

『さようなら。又戻ってきてね』『お帰りなさい。待ってるよ』。夕食の後、後で送りに行きますとは言われたものの、まさかのタイミング。姿は全く見えない。懐中電燈の明りだけが島陰に揺れる。

大型のアウトリガーに乗り換えるとさすがに島を離れる思いと感傷にしたる。
この日は、船に乗り込むのも一苦労なほど風と波に揺れる。走り始めて10分。外洋に出た途端、波しぶきの洗礼を受ける。

最初は「かかっちゃった」と余裕を持っていたのだが、この先1時間半、この状態が止むことはなく、海水のシャワーを浴び続けることとなった。

ようやく、セブのハドサンビーチに着くころには、思わず笑ってしまうしかないほど、全身海水まみれ。5時という薄暗い桟橋の真ん中で、これも濡れたリュックから、多少、程度の良い服と短パンを引き出し、着替える。

6時、セブの空港に付き、チェックインの為、セキュリティを通過する。すると係員が、不審そうに、『お前の帽子はなんでそんなに濡れているのか』と問われる。事情を説明しながらも、確かにぐっしょり濡れたキャップは不審だと思った。

世界で最も海洋生物の種類の多い熱帯珊瑚礁の中に浮かぶ島についての私の心覚えを、面白がっていただきありがとうございます。色々な感想や意見はあると思います。是非聞かせてください。

今日、何かが出来なくても、時が熟せばそれをする「時」が必ずやってくる。
あせることはない。ゆっくりと「今」を生きていけばいいのだ。

自然の中に身を置き自然をしっかり観察し、自然と体をすりあって生きている人たちは「繰り返す」時間感覚を身に着け、生きるようになります。カオハガン島で学ぶことは沢山あります。来年の夏にでも・・とお考えになっては如何でしょうか。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=2049 |
| 社長日記 | 08:08 AM | comments (0) | trackback (0) |

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