シリーズの最後も、休波希(やすなみのぞむ)記者のまとめた記事です。明日の選抜出場校の発表を前にして、「軌跡高商伝統と変革」と題して5回に分けて高商野球の伝統と変革について書いています。要するに伝統にばかり頼ってあぐらをかいてはいけない、変革も必要だという意図ではないかと思います。
最終回の今日は、「高商の復活」がもたらす効果についてまとめています。高松のみならず、団塊の世代らには「強かった高商」の記憶がまだまだ残っています。全国的にも常勝校の入れ替えが、速いスピードで進んでいます。昨日の小欄で書いたとおり、一点集中の私立高校野球部が台頭してきています。
私も高商紫雲会の副会長として、紫雲会東京支部や大阪支部の総会に顔を出しています。挨拶では必ず、「甲子園へはいつ行くのか」という詰問があります。もちろん紫雲会役員が悪いのではありませんが、それでも高商イコール「甲子園」という公式が今でも生きていることも事実です。
過去には四国も、「四商」を中心として公立高校野球部が活躍をしていました。香川県は髙松商業高校、愛媛県は松山商業高校、高知県は高知商業高校、徳島県では徳島商業高校です。しかし前に書いたとおり、私立高校野球部の台頭が顕著です。
香川県にあっても、古くは尽誠高校から最近は英明高校、大手前高校など私立高校が実力をつけて常に上位を占めるようになっています。愛媛も、済美高校や宇和島東高校、高知は明徳義塾高校、徳島は思いつきませんが少なくても徳島商業高校は上位に出てきていません。
確かに反面、「高松商野球部大嫌い層」の存在があるのも承知しています。それが、高商の学内外にあるのも知っています。小は、学内に「どうして野球部だけが特別枠扱いなのか」という他部OBの不満です。学内の部費分配も、過去には野球部が確かに別枠でした。
そして大は、「アンチ高商組」です。それが英明高校など、私立校の台頭につながっているとも思っています。なかには高商の合格ラインに届かなかった生徒もいると思うし、高商大好きだけど高商に相手にされず、逆にその存在を疎む層があるのも承知しています。
しかしその反面、高商に関係のない県民も、明治神宮大会の優勝に祝意を送ってくれています。そこには髙松高校、高松第一高校はじめ、古くからのライバル校も拍手喝采です。高松市内の、老若男女が喜んでくれています。
明日の選抜大会出場が決まれば、高松を中心として、昔の活躍した若い頃の自分とダブらせて古豪高商の復活に、県内一円で喜びが広がると思います。加えて小豆島高校の、21世紀枠出場もあると思います。香川県内から2校の出場校となれば、これは経済効果も期待できます。
少なくても四商の内、髙松商業高校以外は、沈んだままです。髙松商業も20年もの沈黙を破り、満を持していよいよ甲子園へ登場します。私自身も在学中1年生と、3年生で甲子園へ応援に行きました。3年生は受験生で、その当時の大西正純先生に、「甲子園など行っていたら通る大学はないぞ」と一喝されました。
今と違ってその頃の私は生意気盛り(今もそうか)で、「大学受験勉強は浪人でも出来る。現役応援は今しか出来ない」と3年生の夏は、1週間大阪の親戚の家に滞在して甲子園の応援へ行っていました。そこで野球のないときは一生懸命勉強していた?とおもいきや、正直寝てばかりいました。
こんな気持ちで、昨年11月の明治神宮大会へも行きました。私の生きているこれからの20年間に、高商が明治神宮大会へ出場することはないと考えました。甲子園へは、これから何度か行くと思いました。しかし四国1位でしか出場できない明治神宮大会へは、もう行く機会はないだろうと。
少なくても試合前にはそう思って、日程を調整しました。せめて第1試合の札幌第一高校には勝ってねという程度の期待でした。大阪桐蔭戦や敦賀気比戦での勝利があるとは思ってもいませんでした。それでいて、3試合の予定を入れました。航空券も、品川プリンスホテルも予約して。
最後に朝日新聞高松総局の、加藤あず佐記者と休波希(やすなみのぞむ)記者に感謝です。熱心な取材で、バランス良くまとまっている連載でした。しかし途中の小欄で書いたように、もう一つ「雨天練習場完成」が今の高商復活の大きなファクターです。これなくして、高商の明治神宮大会優勝はなかったと思います。
明治神宮野球大会を一緒に観た大北敏博(元巨人軍)も、自分がいた頃の高商とは打撃が違うと、大いに感嘆していました。確かにあの頃の高商野球部には、3番細川安雄(元阪急)4番大北敏博(元巨人軍)の二枚看板はいました。しかしその前後は、今の高商打撃陣とは確かに違います。今はどこからもチャンスメーク。