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高松空港ライオンズクラブ結成20周年記念式典と高松空港の行方
5月28日(日)香川町『ザ・チェルシー』の4F『ザ・エディ』において、高松空港ライオンズクラブ結成20周年記念式典&祝宴が行われました。高松空港ライオンズクラブは、2003(平成15)年11月9日に高松玉藻LCのスポンサーで県下31番目のクラブとして発足し、丁度20周年を迎えました。わが高松栗林ライオンズクラブ(60歳)とは、年の離れた兄弟クラブです。

それだからと言うのではありませんが、栗林LCと周年式典の年が重なります。高松玉藻LCが栗林LCをスポンサーした60年前は、若くてクラブの勢いもありましたが、20年前の空港LCの結成時には、玉藻LCもL黒木福朋やL川﨑啓三らのガイディングライオンを輩出し、L塚本啓幸の転籍など、私は大きな犠牲を出した難産だったと認識しています。

時代背景としては、2000(平成12)年高松市と近隣市町の平成の大合併ムードと、香川県から三木さぬきLC所属のL石川俊夫が第一副地区ガバナーに就任する盛り上がり等々で、高松市の南部地域高松空港付近に新クラブ結成が計画されました。具体的に、三木さぬきLCからL松岡信夫が初代会長として転籍就任。先のL川﨑啓三が、初代幹事として高松玉藻LCから転籍就任。

ここに本日の元会長・L藤川佳代が紹介された『物故会員』、チャーターメンバー『木村守』が登場します。木村耳鼻咽喉科は弊社の北側のビルの2階で開業され、居宅も近くの団地内に構え、地元の名士であります。すかさず高松栗林ライオンズクラブへの入会を奨めましたが、「松岡先生に(高松空港)ライオンズクラブ入りを奨められています」との返事でした。彼はチャーターメンバーとして、大活躍されます。

その重鎮が2022年9月14日、診療中に倒れそのまま他界された。『物故会員へ黙祷』はあの日のL木村守の姿をスクリーンに映し、参加者全員でご冥福を祈りました。私は大泣きしましたが、L藤川佳代は涙をこらえてけなげでした。ここで5分以上を費やし、式典60分内完結は叶いませんでしたが、意味ある5分だったと思いました。





私は幸いなことに、このクラブの結成から周年式典にほとんど参加しています。参加することで、幾ばくかの応援をしているつもりであります。高松空港ライオンズクラブは、結成当初からクラブ理念である『額に汗して』想像力を発揮し、地域の皆さんに貢献できるような奉仕活動を継続されています。若いクラブの空港さんが、これからの4ゾーンを牽引していくように感じました。

横々のつながりですが、来賓としてご臨席の『高松空港株式会社・小幡
義樹』氏と、ほんの一言二言話すことが出来ました。仙台・広島空港に次ぐ民間空港として高松空港が生まれ変わり、先の細松英正(元香川県教育委員長)空港ビル代表取締役から思いを受け継いでいます。公社と民間では立場が違いますが、カテゴリーⅢの導入の真剣度では変わることはないと思います。



県は、着陸ぎりぎりまで滑走路などが見えなくても、自動操縦で安全に着陸できる「カテゴリーⅢ」の導入を国に要望している。しかし国は、滑走路周辺に険しい坂があり、装置などを設置する用地造成費が高額になることなどを課題に挙げて難色を示している。過去の小欄の一節ですが、「カテゴリーⅢ」について予算化がなったと別の会合で聞いたモノで、高松空港株式会社・小幡義樹にぶつけてみました。

残念ながら正式採択までは至ってないようですが、国土交通省の態度に進展が見られるようです。民間空港として、空港ビル建物は勿論滑走路まで維持管理を余儀なくされる『高松空港㈱』、駐車場問題が解決し、残る喫緊の問題は「カテゴリーⅢ」の導入だと思います。霧で降りないのは、これは辛い。



| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=5997 |
| 社長日記 | 09:59 AM | comments (0) | trackback (0) |

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