わが社へは、2008年の新卒採用者がまだ入社していません。高松南高校を卒業した三谷菜摘さんは、数日前から働いていますが、大卒がまだです。
そんな時季に、次の年の新卒を求めて、求人活動がはじまりました。冒頭の委員長挨拶でも喋りましたが、今日が野球のペナントレースのオープニングゲームのようでした。何となく不安も多い中、ウキウキワクワクした気分です。
今日は最後の委員長挨拶のつもりで、「運命」と「因果の法則」について話しをしました。委員長挨拶は短めを心がけているのですが、今日は断りをして先の内容について稲盛和夫塾長の話の受け売りをしました。
四百年前の中国の話しです。袁了凡(えんりょうぼん)さんが幼い頃、まだ袁学海という名前であったある日、学海少年の所へ「私は南の国で易を究めたものだ」という白髪の老人が訪ねてきました。そして老人が、学海少年の将来起こることを全て言うのです。「○○の試験に○○人中○○番で通り、公務員として出世をして、結婚はするが子供には恵まれず、五十三歳で天寿をまっとうします」と。
学海さんはその通りの人生をおくり、ある地方の長官に任ぜられ赴任します。そこに雲谷禅師という有名な老師がいることをかねてから聞いていた学海さんは、その老師に教えを請おうと思い、早速禅寺を訪ねます。
すばらしい座禅を組む学海さん。一点の迷いもなく、雑念妄念のない澄み切った心境で座禅を組んでいる学海さんをみて、雲谷禅師は舌を巻きます。
問いただす雲谷禅師に学海さんは、しかしかこうこうで私は五十三歳で天寿をまっとうします。私には希望や野心はないのですと答えたのです。
「何と立派な賢人かと思ったが、あんたはそんな大馬鹿だったのか」。「その運命のまま生きるバカ者がいますか。運命は変えられるのです。因果の法則というものがあり、善いことを思い、善いことをすれば、その運命は善き方向へ変わっていくし、悪いことを思い、悪いことをすれば、その運命は悪い結果へと変わっていくのです」。
それに感激をした学海氏は、帰って妻に話し、次の日から共に善いことをすることにしました。結果子供にも恵まれ、七十歳を過ぎた今でも元気に生きています。
この物語は、いいとこ取りの感じもします。でも以前から「宿命」は宿っているもので変えられないが、「運命」は変えられると聞いていました。しかしその根拠の説明はありませんでした。この陰隲録(いんしつろく)は、その根拠の一つです。
しかし「因果の法則」がにわかに信じられない理由は、結果がすぐには人生に表れないからです。良いことをしていても、なかなか上手くいかないのが現実です。でも今世と来世または、自分と後継者の二世帯間では寸分狂わぬ結果が出るそうです。
ここまで詳しくは喋れませんでしたが、わが社のブースへ来た学生さんに聞くと、「あの話しは今日一番の収穫でした」と言われ、私は嬉しくなりました。このよい子は、近く会社へ呼ばないといけません。
ところで今日面談の学生さんは、どの人もわが社に欲しい人材でした。最初と言うこともあって、明元素(明るく元気で素直)な学生さんが多かったように思います。
その中にあって一番波動というかパワーを感じた学生さんは、香川大学生の女性でした。中国国籍と言うが、日本語ぺらぺら。夢は日本語と中国語の両方で見るのだそうです。彼女に中国の歴史を尋ねると、「中国6000年」と言われました。明るく元気で素直な学生さんです。きっと良いご両親に育てられたのでしょう。わが社には勿体ない人材ですが、是非欲しい人です。