■カレンダー■
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<前月 2024年05月 次月>>
■お問い合わせは■
松野不動産電話番号:087-888-0011
■過去ログ■
社長日記過去ログ
■メニュー■
松野不動産ホームページ
■管理者■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■新着記事■
■カテゴリー■
■月別アーカイブ■
■リンク■
■その他■
■来訪数■
合計: 2370990
今日: 18
昨日: 1835

何もなくて豊かな島カオハガン島第一弾
ご学友の湯川正から、電気もないフィリッピン国ゼブ島沖あいの島「カオハガン島」へ行ったと聞きました。聞くとおもしろそうなので、彼に聞いて写真集と文庫本を買い求めました。双方共に10年以上前に上梓されたものですが、今と変わらないというのです。

文庫分は、「何もなくて豊かな島」崎山克彦著新潮文庫です。私も読み終えましたが、電気もない、水洗トイレもウォシュレットない、そんな島で暮らすのが東京で暮らすよりホットするという崎山克彦さんは、この島の所有者です。

以下実際に「カオハガン島(顔の中に歯と目がある)」へ行った湯川正の旅行記が届きましたので、彼の了解を得て転載しています。いつまでたっても、とっちゃんぼうやで困ってしまいます。

さて、私、既にお知らせさせて頂きました通り、7月の半ばから1週間あまり、南の島カオハガン島へ行ってまいりました。

電気・ガス・水道なしの東京ドームほどの島での生活が、齢60を迎えたオールドシティボーイ(東京生まれという意味だけです)が耐えられるものなにかどうか、大変なチャレンジだとは思いましたが、非常に良い経験をしたものですから、思いつくままご報告させて頂きます。

≪現地まで≫

成田から飛行機に乗れば、セブ空港のあるマクタン島までは4時間15分ほどの直行フライト。フィリピンエアーはあまり期待しないこと。

我々がHISやJTBのCMで聞くセブ島観光というのは、実はこの空港のあるマクタン島にある大手ホテルに泊まることを意味しています。
セブ本島は数百キロの長さを持つ大きな島ですが、所謂観光地ではありません。

時間通り6時過ぎに着陸。通関を経て表にでると、各地のホテルに運ぶツアー
客を迎える送迎バスでごった返しています。
そんな中、カオハガン島の住民の青年(名前は忘れました)がネームプラカードを掲げており、お互いを確認。

早速、車で舟に乗るため約30分掛かると言われるハドサンビーチへ向かう。
飛行場の一時的な喧騒を抜けると、辺りは闇。
やがてすぐにマクタン島のメインストリートに出ると今度は僅かの明りの先に
飲食らしき店や屋台のような店が確認でき、更によくみると数多くの人たちが
通りを歩いていることを発見!
この歩いている人たちの無秩序加減も凄いのだが、この乗り合わせたタクシーの運転ぶりは想像を超え、後ろで乗る私は確認にも似た不安で肝を冷やし続けた。

というのは、この暗い闇の中、無数にうごめく人々、ルールなどなく止ま、り走るジムニー(オートバイ・自転車に人用の荷台を付けた乗り物)などを、無視した
ように猛烈なスピードで追い越し、幅寄せ、スピードも半端なく走るのだ。
「これは到着するまでに絶対人を轢く、頼むから殺すなよ」と祈る他なかった。

下半身をちじこませながら、ようやく目的のハドサンビーチに着く。
ここも、ほとんど真っ暗。ビーチという名にある通り、昼はダイビングやアイランド
ホッピングと言われるオプショナルツアーの出港地らしいのだが、この現地時間で八時過ぎともなると、幾つかの街灯があるのみ。

それよりも何より、見上げれば満天の星。自分でこれが満天の星かとつぶやき
星降る~というのもこういう事ねと納得しながら、いざ出港!と思いきや、舟が見当たりません。

「舟、何処?」
「少し歩くね。」
「歩く?」
「海、少し歩く」

なんだと。海の音は確かにするけど、辺りは真っ暗。
「靴、変えた方が良い。着替えもするか」と言われたが、こちらも多少の覚悟はしてきたので、ビーチサンダルに短パンT-シャツ姿。(出かける時には、そのかっこうで飛行機に乗る日本人は少ないと思うと家内に言われたほどだ)

懐中電燈を頼りに先を行く奴の後を追う。向かうは勝手知った場所なのだろうが、こっちは文明国からいらっしゃたのだから、少しは気を遣えよと愚痴りながら、漆黒の海を歩く。
しばらく歩くと長さにして3m、幅40cmほどの細長いアウトリガーボートがあり、これに乗れとの事。
これが容易ではない。何せ自分の腰回りの半分くらいしか幅のないボートに乗らなければならないのだ。
バランスを取りながら、荷物、自分の順でようやく狭い舟に乗り込む。

さすがに青年は器用に漕ぎ出すと沖に向かってしばし、見えてきました。
これは約10m以上はあろうか、エンジン船である。
近づくとこれもアウトリガー船で、このあたりの外洋は波があるため、ほとんどがこのアウトリガー方式の船である。

この船に乗り込むのが又ひと騒動。
何しろ船の大きさが違いすぎますから、乗り移ると言っても船から降ろされたラダーの先は海の中にポチャ~ンと浸かってしまい、波に揺れる小舟からそのラダー目がけて飛び乗ることなど、凡そ不可能。

「そっいう事。判りましたよ。まずは海につかる覚悟すればいいのね」
ということで、下半身を海につかりながらラダーに掴み掛る。
やっとの事で船に引き上げられる。

この日は干潮の為、マクタン島の沖にあるカオハガン島には直線コースでは
行けず、島のある珊瑚礁(マランゴ環礁)に沿って迂回するコースを取るため
約1時間の船旅である。

しかし、船旅と言っても、生まれてこれまで見た事もない満天の星空の下、
全く明りの無い暗い海上を走るスリルは格別のものだった。


思えば、昭和19年。
ミッドウェーで惨敗を期した日本海軍は米軍のレイテ島上陸の報に接して
強がりだけの船艇をかき集め(空母は1席しか残っていなかったのに、意味の
無い戦艦大和や武蔵まで出動させ)去勢だけのレイテ沖海戦を仕掛けた。

我々の船の方向はミンダナオ島の方向。
約67年前に、船の進むミンダナオを右に見て、レイテ島の東岸に向かう為
数多くの日本の軍船が進み、この辺りの海で多くの日本人が亡くなったことを
思うと黙祷。

エンジン音が心地よくなってきたと思ったら停止を始めた。
いよいよ上陸か、と思いきや。
島の手前との事。今度は珊瑚礁の中なので、そのまま歩くとの事。

これも、ポチャ~ンと海につかり、真っ暗な中、自分の足元だけを照らしながら
前を進む。5分ほどで上陸。
しかし、この先は気配としては森の中。
懐中電灯だけが頼りでしばらく歩く。

林を抜けたあたりに明りが見え、ようやくゲストハウスに到着。
島のオーナーである崎山夫妻はご機嫌でお酒を召し上がっていた処。
まずはサンミゲルビールで乾杯。
9時の到着であまり時間(自家発電による消灯まで1時間)もなく、本日の
所は早々に森の中の一軒家にご案内頂くことになった。

島での生活等々に書くつもりが到着までで長くなってしまいました。
次回をご期待ください。

まぁだらだらとって怒られそうなので、予告編の写真を添付します。

朝焼けの島

泊まったコテージ

青い海が待っていた

| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=2026 |
| 社長日記 | 10:04 AM | comments (0) | trackback (0) |

PAGE TOP ↑