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高松市の奇跡商店街byカンブリア宮殿
高松丸亀町商店街振興組合理事長の古川康造氏が、テレビ画面の向こうに登場しています。村上龍氏との掛け合いも、どちらか一方に軍配を上げるとすると、古川康造氏が上のようにも映っています。そのくらい堂々と、中央商店街の再開発について話をしていました。

同じところに住む同じ年頃の男が、全国区でここまでやってくれると、涙が出るほど嬉しい。古川さんはテレビに出たからと言うのではありませんが、よく存じあげています。野田屋電機のけんちゃん(先輩ゴメン)の弟さん、次男坊さんです。この2人を見ていると、実に適材適所、棲み分けが出来ています。

最近では、古川康造氏も売れっ子セミナー講師の感がありますが、1988年の瀬戸大橋開通後の中央商店街のシャッター通り化を防いだ男として、全国区の中央商店街再開発の達人として、高松丸亀町商店街へは、年間1万3000人もの見学者が来高しています。

1日に6組の来高もあったようですが、地元の経済活性化のために、素通りの見学者へは、説明をしないのを原則としていると聞いています。通常は、昼からの現場見学会と座学で、その日は高松で宿泊というコースです。朝が得意でないのも原因かな。

集団で来てお泊まりを頂けると、飲食店が潤います。古川さんは最後のところに、「需要」と「供給」という言葉を使ってコミュニティーのあり方を語っていました。一口で言うと、居住人口をまず増やす。するとそこへ供給するための店が、自然発生的に誕生しだすというのです。

ここ高松丸亀町商店街の再開発が、実施計画後(その前に時間がかかっている)わずか4年で出来たのは、ガキの頃からの「おいお前」の関係がもとにあったことと、「全員参加型同意形成」を条件とした、定期借地権活用にあると思います。

土地の所有と使用を分離するという定期借地権活用に、試行錯誤の果てにある意味の活路を見いだしたのだと思います。何とかしなくてはいかん。しかしそもそものきっかけは、前理事長鹿庭幸男(一昨年88歳で逝去)氏の「(繁盛している)今のうちに、没落している商店街を見に行け」というアドバイスでした。

まだ高松丸亀町商店街が元気だった頃に、当時の指導者は、次を見据えていたのです。その点は古川康造さんらも、実に素直だったのでしょう。1988年の、瀬戸大橋開通と共にバブル景気が岡山の方から高松へ上陸したと言われています。

高松丸亀町商店街の周辺でも地価が高騰し、駐車場の賃料が、月額5.5万円になったと回顧していました。そんな中、平成3年に最初の計画書が誕生したのですが、紆余曲折を経ながら、それが「定期借地権」を活用するという手法でした。

土地の所有と使用を分離し、偏った業種を買客の要望する業種へ変えて、再生を図るというものです。土地所有者単独店であれば好きな商売、つまり儲かりそうな商売をしたがります。つまり買客目線ではなく、提供側都合の店作りになってしまっていました。ここでは紹介されませんでしたが、商売替えをした会員も多くいました。

ここに定期借地権が登場しますが、正式には「定期借地権」が平成3年に法案が成立し、翌平成4年から施行になりました。定期借地権は3つあって、目的に合わせて使い分けをします。しかし、いずれも契約期間が満了すれば、必ず地主の元に土地が帰ってくると言うこれまでの「借地権」とは全く違う法律です。

つまり誕生したばかりの新法を使うのです。そのため地主の多くは、一旦貸したら帰ってこないこれまでの「借地借家法」が頭にあって、定期借地権活用の説得(27人の地主)は大変だったと思います。それでも「圧倒的賛成派」が「消極的反対派」を凌駕したのです。街と一蓮托生、正しい村八分と当時を振り返る古川氏。

一般定期借地契約の年限を62年間(法律の規定で60年以上となっている)とし、工事期間が2年あって、60年の人間の還暦期間程度で1つのビジネスモデルは完結するという考え方です。その次のまちづくりは、次の人が考えたら良いという発想です。ある意味押しつけはしないで、緩やかな合意形成をやり続ける揺らぎも良いですね。

ところで高松丸亀町商店街の成り立ちは、420年も前からのことです。人が集まり商店街が形成された。1000人が生活する空間から、バブルの地価高騰もあって、若者は郊外に居を構えて高齢者の店主ら75人が居住する街になってしまった。

店舗のシャツターが午後7時に、また定休日には閉まっていました。今では、500人が居住する商店街になっています。また定期借地権付分譲マンションも、80㎡で2,500万円という、一般的な土地付き分譲マンションより安い価格のマンションも店舗の上に完成しています。

古川康造氏は番組の中で、成功の秘訣は「地域のコミュニティー」があったことだと力説していました。店舗の上に診療所を作り、その上に定借マンションを建設分譲します。傘要らず、歩いてすべてが賄えるコミュニティーのあり方は、まさに自分たちが80歳になった時に必要なものを備えるという発想です。

「不在地主」にも、鋭い指摘をしていました。明日の小欄ネタの「マッカーサー道路」も住民を巻き込んでのまちづくりという発想をはじめてから、コミュニティーが新たに形成されて、道路が誕生します。道路の上のマンションに、地権者が等価交換で居住します。日本全国どこでも、不在地主には、村八分も通じません。


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| 社長日記 | 10:19 AM | comments (0) | trackback (0) |

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