今年の箱根駅伝は、スタートだけ見届けてテレビ観戦は終わり。慌てて熊野神社へ出向きます。今日は昼までの神社当番です。神社に関する関心は、若い層には興味を持たれ、字も分からない年頃の層も、親の仕草を真似てお参りをしておみくじまで買い求めています。
一方神社の手伝いをする層は、高齢化も看護作業もあったりして、手薄になってきています。私も毎日のように駆り出されていますが、午前と午後に分担されています。しかし責任神社総代の飛倉さんと、事務方の川西さんの2人は、年末から1日通しで任に当たっています。
この熊野神社には古文書が残っていなくて、どのくらいの歴史があるのか分かりませんが、近くの櫻木神社が創建1,000年と言われています。ここ熊野神社もその位の歴史があるのではないかと言われています。唯一の物証は、樹齢500年の古木が境内にあることです。
昨年の12月小欄で、明治の農本思想家・権藤成卿と私の日本再生論を経済アナリストの藤原直哉氏が「日本人の財産って何だと思う?」を上梓したことを書きました。彼は日本人がどうして神社に手を合わせ、また神社の世話をするのかについても書いています。もちろん、天照大神ですから天皇が中心です。
そう考えれば、先祖の墓参りとか墓守は当然と言えば自分を生んでくれた先祖まつりですから当然のことですが、神社はその地域に氏子がいて、その地を離れない限り氏子としての義務と権利を与えられています。面白いことに、そこに引っ越した人も、今の時代は直ちに氏子になれます。
こんなに分け隔てすることのない文化は、日本人独特だと経済アナリストの藤原直哉氏は言うのです。この神社詣でと同一線上にあるのが、地域の「獅子舞組」の存在だと私は思います。2人一組で獅子の中に入り、先頭が獅子頭を持ち、後ろが巧に全体を操ります。
この熊野神社にも獅子組がいて、この地域の人が神社運営の中心になってくれています。高松市出作町の皆さんですが、弊社もここにあります。隣接の仏生山町の一部に「乙」があり、ここが高松市仏生山町出作1丁目と2丁目であり、拙宅もここにあります。つまり私は、仕事も生活も熊野神社の縁者であるのです。
帰宅して箱根駅伝の画面をつけると、明治大は遙か下位にいました。今年は、青学大、東洋大、駒沢大の3つが注目校で、その他は団子レースの団子のように言われています。予想通りと言えばその通りですが、開き直ってチャンネルを替えます。全国大学ラグビーの、明治大VS東海大戦を観ることにします。
ところが何と東海大28-19明治大で、明治大の逆転負け。今年は、明治大には我慢の年のようです。ガッカリしながらも、帝京大VS大東大を観ました。再度ガッカリしました。今の帝京大に勝てる大学はいないと、痛感させられる圧勝です。果たして、どうしてこれほどまでの差がついたのか。
そして夜は、明治神宮野球大会優勝祝賀会に招かれ、気分を良くしてオークラホテル高松へ。隣席が、元野球部長の畠山敏明先生でした。先生は、昨年の同窓会の幹事さんです。神宮大会で、教え子の岡田一博や増田裕一、大北敏博もいたことを伝えました。
今日の祝賀会には同学年の中井も、京都から駆けつけていました。46年卒の仲間では、阪急に行った細川の消息が分かれば、改めてまた同窓会をしようと決めています。今年これからは沢山の同窓会や、部活の総会が行われるようです。高松商は、長い冬眠から目覚めて今から八面六臂の働きをします。