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野口レポート№233トルコの恩返し《パートⅡ》
1985年イラン・イラク戦争が勃発し、フセイン大統領は、「今から40時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機は全て撃ち落とす!」と警告を発しました。

世界各国は、自国民救出のため素早く救援機を出し、引き上げを完了しました。日本は政府の対応が遅く250人もの日本人が取り残されました。空港の日本人はパニック状態になりました。タイムリミットギリギリのとき、一機のトルコ航空機が到着し、日本人全員を救出してくれました。

この出来事は私の記憶のなかに残っておりました。この話に心温まる感動の物語があったことを、13年前に読んだコラムで初めて知ることができました。

1890年(明治23年)和歌山県串本町沖で、トルコの軍艦エルトゥールル号が暴風雨にまきこまれ難破しました。遭難した68人の乗組員たちを近くの島(大島)の住民は、自らの貧しい生活も顧みず、わずかに蓄えていた自分たちの大切な食べ物まで分け与え、親身になって看護や世話をしました。

日本人救出にトルコ航空機が飛んだのは、かつての大島の住人(日本)に対するトルコの恩返しでした。

トルコの人たちは、日本人がしてくれた献身的な救助活動を忘れてはいなかったのです。トルコではエルトゥールル号のことは小学生の時に歴史教科書で学び、国民誰もが知っているそうです。

素朴で温かさと思いやりを持ったかつての日本人、先人が受けた恩を今でも忘れていないトルコの人たち、このコラムを読んだとき私は感動で胸が熱くなりました。

この実話が日本・トルコの合作映画となり、「海難1890」の題名で一般公開されています。さっそく観てきました。

日本人の素晴らしさに改めて感動しました。まさに「感謝の気持ちと譲る心」です。この映画を観て日本人として生まれてきたことに、誇りと有り難さを感じずにはいられませんでした。

幕末から明治にかけ日本を訪れた外国人は、誰もが一様に日本人と日本文化を絶賛しています。しかし、戦後日本人は経済的豊かさの代償として、これら大切なものを失ってしまいました。

だが、根底には先人の血がDNAとして必ず受け継がれているはずです。一人ひとりがこのことを意識し、今こそ日本人としての価値観や国家観そして誇りを取り戻すことが必要です。

何と良い話しで、日本人はこの事実を覚えていなくては恥ずかしい。トルコも今、経済的に窮地に陥っています。直ちにどうするとか出来ないとも思いますが、この相続アドバイザー協議会の野口賢次副理事長さんの文章のように、争うことなく協力して生きていきたいものだと願っています。

NPO法人相続アドバイサー協議会

| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=3310 |
| 社長日記 | 08:42 PM | comments (0) | trackback (0) |

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