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とても深い話し松原誠選手「上にはいつも王さんがいた」
四国新聞の「名球会リレーコラム」に松原誠氏が書いていた記事が、強く私の心に残ったのです。松原誠選手は、大洋ホエールズの主力選手です。2千本安打、300本塁打、千打点を全て達成したのに、タイトルに縁がなかった名選手です。

1974年は残り10試合近くまで数厘差で首位打者を争いながら、疲労とプレッシャーで打率を落としました。77年には33歳で110打点を挙げたが、打点王に届かなかった。上にはいつも、王さんがいたのだそうです。

一塁手の守備も自分の方が上手いと自信があったが、ダイヤモンドクラブ賞(今はゴールデングラブ賞)も全部王さんに持って行かれたと嘆きを書いています。そんな松原さんが、試合前に必ず外野のポール間を10往復走っていた王さんに「走る本数を減らしていたら、もっと長く現役でやれたし、ホームランも打てたでしょうね」と尋ねたのです。

「あの10往復は、他の選手に対する『君たちには負けないよ』というメッセージであり、自分のモチベーション(スポーツ選手の意欲などに用いられることが多い)だった」と教えられたそうです。

キャンプのミーティングで、こんな話しも聞いたそうです。「サラリーマンは定年まで約40年あるが、プロ野球選手の寿命は十数年。一日を一般の人の3倍生きなさい」。

子どもの頃から足が遅く、鉄棒の懸垂は2、3回しか出来なかった。そんな自分がどうやって生きていくかを考え、オフから開幕までの5ヶ月間、バットを振ることだけに没頭した松原選手、努力は惜しまなかったつもりだったが、王さんの話しを聞いたとき「負けた」と思ったそうです。

タイトルを取れなかったのは、目標を明確に定めて3倍努力した人と、ぼんやりと人の3倍バットを振っていた自分との差だったのだろう。スポーツの世界では一厘差とか、一秒差とか、一点とか僅かな差で惜しかったねとよく言われる。

でもプロは、それで納得してはいけない。考え方や水面下の努力の違いなど、勝者と敗者を分ける一厘差はとても大きいものだと書いています。プロ野球名球会選手が語る、とても深い話しでした。


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| 社長日記 | 09:17 AM | comments (0) | trackback (0) |

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