12月1日大阪のホテルニューオータニで、西日本地区の塾長忘年例会が開催されました。毎年大阪と東京で、忘年例会が開催されて、盛和塾塾生はどちらかの参加が認められています。つまり、両方の参加は、残念ながら認められません。高松だと、普段は東日本忘年例会へ参加します。
この忘年例会は、塾長講話が中心となります。本日は「企業における自己革新―京セラの新製品開発を通じてー」と題して、企業の新商品開発の有無について、塾長の考え方の示唆がありました。京セラも、創業から10年はもがき苦しんだ毎日でした。
1つの商品に頼っていれば、来年がないという危機感から、想像も出来ないような新しい商品の開発にトライします。出来る出来ないの、選択肢はありません。出来なければ、京セラという組織は崩壊し、約束した従業員の雇用は守れません。やるしかない状況に追い込まれて、出来る方法を模索します。
そんな創業早々の京セラの商品開発の話から、第二電電の創業、さらに日本航空の再建まで、世間は色々言うのですが、稲盛和夫塾長は終始一貫「偉大な人物の行動の成功は、その手段よりその人の心の純粋さによる」と説きます。清らかな心、純粋で美しい心がベースにあれば、上手く行くというのです。
その後の乾杯の挨拶でも大阪塾の稲田二千武氏が、経営は一見矛盾したようなところがある。利他の精神と良いながら、一方では税引き前利益を売り上げの10%以上にするという部分も、この一見矛盾に思えることの一つです。しかしその両方を追求できなければ、経営者として失格です。
私もこのところ柄にもなく悩んでいましたが、今日の稲盛和夫塾長の話を聞いて、肚が決まりました。何のためにこの世に生まれて、人間として生かされて、何を残すか。人の営みとしてみれば、私の人生などはちっぽけなものですが、されど人生です。
稲盛和夫塾長の本日の塾長講話、今の私には天の声でした。ありがとうございます。ところで懇親会の冒頭ですが、ピアニスト作曲家松永貴志さんの演奏がありました。テレビ朝日の22時「報道ステーション」の頭で流れている音楽、あれを作曲して自ら弾いている人です。
もちろん最初の曲はそれで、何も言わずに弾き始めて、会場は驚きの中で静まりかえり、力強いピアノの旋律が流れます。私もこれを番組(報道ステーション)の冒頭に聴いていましたが、今風の「合成音」だと思っていました。生で聞かされて、なるほどと納得しました。
かれは、1986年生まれで30歳。17歳でメジャー・デビュー。「彼のピアノは世界を驚愕させる」とまで言わしめるピアノ演奏。今日の塾長例会の設営チーム、「神戸塾」と「播磨塾」の底力を感じました。氏は東京で活動しているようですが、出身は宝塚だそうです。