2024,03,08, Friday
ごく最近、『大黒弁天』さんが届いたのです。大黒弁天は、七福神の一人で、日本の伝説や信仰において重要な存在です。元々はヒンドゥー教の神様でした。彼は戦いの神様で、ヒンドゥー教の中で最高位に位置するシヴァ神の一面であるマハーカーラとされています。マハーカーラは「大いなる暗黒」を意味し、シヴァ神が世界を灰にする際にこの姿になるとされています。
また大黒弁天は、財産や商売繁盛をもたらすと信じられています。彼は日本に伝わった際、財産に関連する幸運をもたらす神様として広く信仰されました。現在は、お金に関連する幅広いご利益があるとされています。持参下さったのは二従兄弟のMさんで、実家の整理をしていたら出て来たと言うのですが、恐らく御尊父が信心深い人であり大切に祭っていたのでしょう。しかし残念ながら私には、信仰心がありません。 また、大黒弁天は戦いでの勝利をもたらす神様としても信仰されており、戦国時代の武将たちに守護神として崇められていました。大黒弁天は、その多様な側面と神秘的な存在感から、多くの人々に愛されています。いずれにしてもありがたいものですから、自宅のどこかに置きます。危なくなかったら、通学路から見えるところに安置して子どもらが大きなお腹に触れて福が来たら良いですね。 この大黒弁天さんを頂いて、思いだしたことがあります。もう随分前になりますが、もう1体の巨像、『坂本龍馬像』を頂戴したことがありました。私が確か龍雲中学校のPTA会長をしていた頃(30年前)、高知県で夏に日本PTA研究集会が開催され、分科会の報告者として講演をされたのが山崎清朗先生でした。先生は高知情報ビジネス専門学校(学校法人龍馬学園)の 学校長をされていました。 その時の話しは、坂本龍馬の下りだったと記憶していますが、やはり地元の龍馬研究家は微に入り細に入り勉強されています。現代は四国は一つと言われますが、龍馬が生きた時代の土佐はどこにもない独特の藩風があったのでしょうね。高知黒潮ライオンズクラブのメンバーをみても、龍馬のDNAを受け継いでいると思われる強者が多くいます。 その後に山崎清朗先生がご子息同伴で、高知から写真の『龍馬像』を持参されたのでした。「あんたの先祖だ」と言うようなことを言われて、突然だったモノで、十分なおもてなしもできず先生は帰られました。山崎清朗先生は熱心に龍馬談を語りますが、ご子息はどうお考えだったか、いまだにすまない気持ちで一杯であります。 大黒弁天像を頂き、12年前のことが思いだされました。 ここをクリック |
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