象徴的な1日でした。高速道路での居眠り運転バス事故の運転手が、法律で禁じられている日雇い労働者であったとか、北アルプスで70歳を超えるベテランらがグループで命を落とすなど、暗いニュースが飛び交う中、北海道電力泊原発3号機が定期点検に入り、国内の商業用原発50基がすべて停止したと報道されています。
国内の全原発停止は、1970(昭和45)年以来42年ぶりだということです。日本原子力発電の東海原発が初の営業運転をはじめたのは1966(昭和41)年、70年に定期検査で全原発が停止した時は、商業用原発は2基でした。さほど影響はなかったと思います。
その後70年代の石油危機を経て、90年代には沖縄電力を除く電力9社がすべて原発を保有してピーク時の確か55基でしたか全発電量の26%を供給するまでになりました。四国にも愛媛県伊方町に、四国電力伊方原発があります。私も2度ほど見学へ行きましたが、四国電力はこれまで余剰電力を他の電力会社へ融通する立場でした。
しかしこのまま原発が稼働せずに猛暑となった場合、北海道、関西、九州の3電力管内で電力不足に陥る恐れがあり、家庭や企業にはさらなる節電が求められることになります。もともと原発建設前にはエアコンなどは無かったものですから、原発などなくても良いとつい言いがちですが、今の建物構造はエアコンが稼働することを前提に作られています。電力不足の夏は、耐え難ものがあろうかと拝察します。
第一今の電気需要では、これは空調用電力これは生命維持用電力とか分けることは出来ません。「電力不足」で、何が止まるか分からない状況です。加えてガス風呂にしても、電気で制御しているところがあります。コンピューター回路は、間違いなく電気を必要としています。
天然資源に乏しい日本は、1960年代から原子力利用を進め、70年代の石油危機で原発への依存度は高まり、電力といえば1番が原子力と勘違いするまでの安定した地位を、東京電力福島原発事故までは保っていました。福島原発からの1年数ヶ月で、全50基が停止するとも考えていませんでした。
また産業のない僻地の自治体は、言われるままに原発を誘致し、現にその恩恵を受けています。かつての炭鉱の衰退のような悲哀を心配する、原発が最も集中する福井県では、県議会の代表が枝野幸男経済産業相に対して、脱原発依存を進めるなら代わりの再生可能エネルギー発電を誘致するように詰め寄ったとも報道されています。
確かに再生可能エネルギーと言われた原子力発電は、資源のない日本には他に類を見ないほど有り難い発電方法であったと思います。産業界は安価な電力と豊富な労働力を背景に、世界第2位(現在は3位)のGDPを挙げるまでに日本は成長しました。
世界的な原発反対運動を見ながら、それでも原発は必要だと私はよう言わないのですが、ここ一番、安全性が確認できた原発、これの選別基準がこれまたなかなか出来ないようですが、根拠なしに言うのですがせめて10基程度は期間限定で、脱原発の手当てが出来ると決める10年後までとか、とにかく再稼働の方法を模索できないものかと思って心配しています。