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国内初人の血液からナノプラスチック微粒子検出
国内初世界でも珍しい大発見だが、こればかりは決して喜べない。国内で複数の人から採取された血液に、『ナノプラスチック』と呼ばれる直径千分の1ミリ以下の極めて小さなプラスチック粒子が含まれていることが、東京農工大の高田秀重教授グループの分析で、20日までに明らかになった。海底等に散乱しているというナノプラスチック微粒子だが、魚の体内に蓄積されて、人の口に入るのも時間の問題とは言われていた。恐れていた事態へ、残念ながら確実に進んでいる。

複数の内の一人を詳しく調べると、血液や腎臓、肝臓などから、プラスチックに添加する紫外線吸収剤やポリ塩化ビフェニール(PCB)という有害物資も見つかった。人の血液中のナノプラスチックはオランダで検出例があるものの、国内では初めてのこと。含まれる有害化学物質を同時に検出した報告は世界でもなく、人体への蓄積の実態が示された。

高田秀重教授は「プラスチックの微粒子が有害化学物質を体内に運び込んでいる」と指摘。検出量はわずかで直ちに影響が出るレベルではないとしつつも、「これらの化学物質は環境ホルモンだ。摂取量が増えたり長期間蓄積したりすれば、生殖作用などに影響を与えることが懸念される」とした。これらは素人の私でも理解出来るし、ついに来たかと恐怖を感じる。見えない恐怖が、ひたひたと迫ってくる。

ナノプラスチックは、プラスチックゴミなどが壊れてできる直径5ミリ以下の粒子『ナノプラスチック』のうち、一般的に直径が1マイクロメートル(千分の1)以下の粒子をさす。近年分析技術が向上し、河川水や海水、生物の体内などから、さまざまな種類のナノプラスチックが検出されるようになった。

直径が大きい粒子に比べ、呼吸器や消化器を通じて血液中に入りやすく、粒子としての影響やプラスチック中に含まれる有害化学物質の影響がより大きくなることが懸念されている。私も過去に『岡山後楽LC』の声がけで、小豆島で体験海底ゴミ回収作業を複数回体験した。これもコロナ禍で裁ち切れになったが、この間でも懸念は確実に広がっている。

プラスチック類を、わざわざ海に捨てる人はいない。陸から風で飛ばされたペットボトルなどが、川を介して海に流れ着き海底へ沈み時間をかけてナノプラスチック微粒子に変わる。ビニール袋やスーパマーケットの買物袋も根源だと嫌われて、今は少なくなっている気はするが、すでに堆積したモノもは回収作業が必要だ。


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| 社長日記 | 08:52 AM | comments (0) | trackback (0) |
米大リーグの開幕戦が韓国ソウルで開幕
ドジャース対パドレスの開幕試合がソウルの高尺スカイドームで行われ、ドジャースの大谷翔平選手がパドレス相手に2安打1打点1盗塁と躍動、ドジャース5-2の勝利に貢献した。やはり大谷翔平選手が移籍したドジャース打線は、終盤8回一気に畳みかけ勝利をもぎ取った。データーは語る。パドレスの先発ダルビッシュ有に、勝敗はつかなかったが好投した。

日本人対決や韓国開催、大谷翔平選手の結婚帯同など話題に事欠かない対戦に、結果以上の盛り上がりをみせ、韓国開催は興行的にも大成功。大谷翔平選手のみならず、韓国の選手にも大声援が送られていた。開幕戦のスケジュールは、大谷移籍の前から決まっていたと思うのですが、移籍効果絶大。スポンサーJTBも、日本からの観客動員で少しは潤ったことでしょう。来年は日本開催があるかな。

試合経過とか結果とかは新聞TV報道をご覧頂くとして、私は日本での『野球熱』について考えて見たい。そもそもわれわれ世代は、昭和21年~24年生まれの『団塊の世代』の次ぎ世代で、『巨人・大鵬・卵焼き』世代とも呼ばれるほど、ある程度世代全員が同じ方向に歩んでいた時代です。象徴的なことは、学校給食のコッペパンと脱脂粉乳のミルクと、やはり野球だろう。

今では野球よりサッカーが人気競技かもしれませんが、あの頃は何と言っても『野球』でした。プロ野球は巨人の長嶋茂雄氏や王貞治氏。阪神は村山実投手が相手で、今も語り継がれる1959(昭和34)年6月25日巨人対阪神の天覧試合で、昭和天皇と香淳皇后が貴賓席に姿を見せた夜、ファインプレーが相次ぎ、ホームランも5本飛び交い、手に汗握る好ゲームとなりました。

試合の主役は、巨人入団2年目の長嶋茂雄でした。試合は4-4で迎えた9回裏、先頭打者として長嶋がバッターボックスに入りマウンドに立ったのは、阪神のエースである村山実でした。2ボール2ストライクの後、長嶋がとらえた球が左翼スタンドのポール際に飛び込み、サヨナラソロホームランを放ちました。村山投手は、あれはファールだったと言い続けたと言われていますが、いずれにしても『野球』が主役であった時代の今に続く語りぐさです。

昨年大谷翔平選手が、日本全国の小学校に3個のグローブを贈りました。私もいまだに記憶にあるのですが、野球道具のうちグローブは特別です。小学校3年生の頃、私も父親からグローブを買ってもらいました。抱いて寝たのを思いだします。その位グローブは格別です。それを、特別の大谷翔平選手からプレゼントされたのです。大谷翔平選手のお陰で、少年野球は復活します。

選抜大会も始まりました。県大会も始っています。日経平均4万円超よりも、大谷翔平選手の活躍、『野球熱』が日本経済を活性化します。


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| 社長日記 | 09:38 AM | comments (0) | trackback (0) |
天才女房殿と凡才のわれは何と小さな人間か
本当に小ネタで申し訳ありませんが、私にとっては天と地がひっくり返るような大事件であります。それは春の訪れを感じる3月の、ある朝の食卓でのことでした。「玄関先の石臼を、ほんの少し動かせたらヨーグルト姉さんの(配達品を入れるBOXの)蓋が閉まるのに」、「ほんの数ミリ動かそうとしたけど、素手ではびくともしない」。私は、そんな愚痴ともつかない独白をしていました。

するとかみさんが、「(あんたが畑から持って帰ってきた猫退治用の)石煉瓦を配達品BOXの下に噛ませたら」と言うのです。何気なく聞いていたのですが、われに返って考えてみると、「妙案やそれええわ」と私も完成形が頭の中で『カラー』で見えてきました。えー案やと思いながら、昼に帰って現場を見てみると、石煉瓦1枚で見事に納まっています。BOXの箱の蓋も開けてみました。これまでの引っかかりがなくて、具合が良いのです。女房殿がやってくれています。

こうなるともうスッカリ、かみさんの独壇場。「あんな重たい石臼を動かすより、軽い宅配BOXを浮かした方が簡単やろ。要するに蓋がきちんと閉まり、保冷剤効果が大なら満足なんやろ。バールやスコップでこね回して腰を痛めたら、私も困るけんの」と、それはもうTV解説者かと見まがうほどの論客ぶり。やられたと思うのですが、わが妻ながら見事。

写真のように宅配BOXが、ピッタリカンカンに納まっています。これまではひとまわり小型でしたが、働き方改革で大型BOXになりました。このところ、自宅内や周辺の環境整備を続けているのですが、今心待ちにしているのは、壁面時計の照明です。SEIKO時計は新品に変わりましたが、もうひと工夫があればもっとよくなると、電気屋けんちゃんにお願いしています。親子でやってくれるようです。小学校の入学式には、十分間にあいます。夜間は通学しないと思いますが、それでも区切りになります。

次は引越、仕事の拠点が自宅横の『マリアージュ102』に移転します。来月のどこかで、これまで慣れ親しんだ会社から引っ越します。正式には6月末ですが、荷物の移動は早めにやると思います。創業した会社は、次の若者に委ねます。創業まもなくから、「100年存続する会社」を標榜していた私ですが、自分が出来たのは僅か40年、半分以上を次ぎにお願いするわけです。

女房殿と後継者の若者とわが子二人、実に逞しい人生の師ですね。






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| 社長日記 | 08:49 AM | comments (0) | trackback (0) |
屋島組は屋島だけじゃない飯野山へも登る
今日は目線を変えて、いつもの屋島から西讃の飯野山へ登山することにしました。それもまず西讃の、リーダー絶賛のうどんの名店でうどんを食べて、次に登山をします。私は行ったことがないのですが、リーダーのK氏がぜひ一度紹介したいと企画してくれました。11時半になるともう閉店だと聞いて、10時到着で高松市円座町を出ました。

行ってびっくり、なんと20日の水曜日が本来の定休日ですが、18、19、20日と3連休するとの張り紙。この知らせに驚いたのは、われわれ香川県組ばかりでなく石川ナンバーや大阪ナンバーと他県からも車が来ていました。しかし彼らはわざわざ来て、次に行くところを作っています。素早く、文句なく駐車場をあとにします。

困ったのはわれわれで、ここが今日の目玉だっただけに大打撃。それでもリーダーの判断で、数日前TV放映していた『よしや』へ移動しました。店主の山下義高さんは、情熱大陸に出演し、その手打ちへのこだわりやおすすめのうどんについて紹介されました。8人は恐る恐る入ってみます。香川県丸亀市にある「純手打うどん よしや」は、手打ちにこだわった素朴で力強い味わいのうどん屋です。



通常の時間より早いもので、店内はまだ余裕がありますが、注文の仕方に悩みます。讃岐のうどん屋には、身勝手ですが独特のやり方があります。私はTV番組でも紹介されていたのりたまごうどんにしました。評判通りの名店でありますが、山下義高さんは同業者との交流を大切にしています。一人親方のカーリーさんが多い世界で、秀逸の存在です。

さて香川県丸亀市にある「飯野山」は、讃岐平野の中央に佇む独立峰で、別名「讃岐富士」とも呼ばれています。この山は、地元の人々に親しまれており、美しい円錐状の山容を持っています。飯野山登山ですが、飯野町ルート・坂出市側からのコース・一番歩きやすい丸亀野外活動センターからの3コースがありますが、丸亀野外センター口からアタックしました。標高422mですが、下からは結構きついです。さすが『讃岐富士』と呼ばれて知らない人がいないほど有名で、そのため大勢に支持されていると見えて手が入っています。

1千メートル超の山が2つしかない四国ですが、私にはそれで十分です。低山•里山を自分たちのペースで楽しめたら良いのです。多くの人に愛されている飯野山で、毎日のように登山している付近の人も多いようであります。なかなか流行と言われても、走る事には抵抗もあるのですが、歩くことなら出来ますよ。里山登山を始めて、半年になりました。この趣味がもう少し続けば良いなと、考えています。








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| 社長日記 | 09:05 AM | comments (0) | trackback (0) |
療育~親子の物語by高松フェニックスLC
愛媛県新居浜市に生まれた石村嘉成さんは、2歳半で自閉症と診断された。認知の障害があり、コミュニケーションが出来ていない。と言うことは、人とのつながりが出来ない。重度の障害を抱えてこどもを、母親と父和徳さんは、どのように向き合っていくべきか、取り組みはどうあるべきか原因を深く洞察し、積極的に対応する。その物語が語られる。

自閉症児の育児と教育の困難は、『認知機能の障害』に起因する。
(一時的障害)
脳に何らかの障害
    ↓
(二次的障害)
知恵の遅れ、言葉の遅れ、運動機能の遅れ
    ↓
(三次的障害)
①身辺の自立が出来ていない 遊べない
②かんしゃく、甘え、わがまま
③偏食、虚弱、虫歯、肥満、便秘
④未学習にされるー教育を受けるチャンスを失う

両親特に母親は、嘉成君の療育に腐心する。医師の河島先生に出会い、脳の障害は容易なモノではなく、障害児は育てにくく歪みやすい。この子どもたちの育児と教育には『適切さ』と『一貫性』と『継続的』のすべてが必要で、しかも『徹底して』行われたとき、療育の効果が生まれると学ぶ。

具体的に母親は、嘉成君を小学校の普通教室に入れる。そして横につく。一年生の最初は、まず席に座れない。それでも根気よく、着座させる。学校へ送り届けたら安心では決してない。障害児と親の根比べ、泣かないようにと、ただひたすら子どもの要求のまま、嫌がることを一切させず、過保護に可愛がる育て方をすると、未成熟なまま、大きな歪み(二次的障害、三次的障害)をつけて手がかかり指示に従えない、集団行動が取れない情緒不安定な人間に育ってしまう。

母親は自身40歳、嘉成君が5年生の年に癌で死去。母親は「私が育てなければ、この子は生きて行けない」と強い自覚を持ってそれまで育てた。『母親が変われば子は必ず変わる。母が育てば子は必ず育つ』。その後は父和徳さんが、二人三脚で療育に取り組む。中学校へは片道4キロを、親子で自転車通学、父親は一日2往復3年間。勿論無遅刻無欠席。

そして新居浜商業高へ進学。そこで美術に接し、作品展で入賞する。このプチ成功体験から、2013年第2回新エコールドパリ浮世・絵展ドローイング(作図)コンクール入選、審査の結果、優秀賞を受賞となる。父和徳さんは、『叱らないけど譲らない』、『無知なる愛』が一番いけないと言う。

子・石村嘉成さんと父・石村和徳さんの、トークショーとライブドローイングでしたが、子の話しは午前中の畑仕事もあって寝ていて聞いていませんでしたが、父親の話にはなぜか目覚めて涙ながら聞き入っていました。決して障害児と父親の特別の子育て論ではなくて、私も子育ての頃を思いだしました。もっともっと、かかわってやれていたらと猛反省。産んだら育つぐらいにしか、かかわっていません。申し訳ない、今からでも子育てがしてみたい。長男が立てた墓石を磨きながら、あの頃を思いだします。



親の道を教えてくれた河島先生は、「知識ある愛、行き届いて」をモットーに「ゆとりを持って、マイペースで、子どもの能力を見極めながら、希望を持って、子どもに敬意を抱きながら、面白がりながら、苦しみながら、可能性を信じて、徹底的に、知識を広げ、思索し、人生観や宗教観を深めながら・・・。」

『鬼手仏心』きしゅ‐ぶっしん
誰かを救うために、内心は慈悲に満ちているのに、外見は傷つけているようにしかみえない手法を採るときの有様を言う。外科手術は体を切り開く様が鬼のように惨酷に見えるが、その心には患者を救いたい仏のような慈悲心に基づいているということ。

高松フェニックスLCは、障害児救済を部是としている。高松養護学校でレオクラブ結成に尽力し、独自のWE SERVEを実践しています。ドローイングは、版画を仕上げる作業。あっぱれ青年の立ち姿でした。





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| 社長日記 | 10:31 PM | comments (0) | trackback (0) |
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