2017,11,24, Friday
讃岐のうどんを研究しているライター萬谷純哉さんが、私の実家松野製麺所の事を聞きに来られたことは、先の小欄で紹介した通りですが、その彼に香川県産干しうどんのルーツについて、逆に私が教えられたのですが、西讃・観音寺市の「高原うどん」が明治33年創業で最古参、それから遅れること6年、1902年(明治39年)創業合田照一商店のうどんが続きます。いずれにしても、100年前のことです。
こだわり性のライター萬谷純哉さんは、何とその両店の「讃岐うどん(乾麺)」を持ってきてくれました。確かに私の作っていた乾麺=干しうどんと、形状は同じです。食してみましたが、どちらの麺も美味しかったですね。かみさんも、一緒に乾麺を作っていたのですが、「美味しい」と言っておりました。 今では「生麺」とか「半生麺」がお土産品では、一歩リードしている感はありますが、讃岐のお土産麺は、干しうどんが主流でした。面白いことに「合田商店」は、200年近く前から、瀬戸内海と本州を繋ぐ帆船物流をしていました。当初から、日持ちのする産品が物流の中心だったことは、否めない事実だったと思います。 ライター萬谷純哉さんへのお礼の意味もあって、山田竹系著「随筆うどん・そば」を2階の書庫で探してみました。そこの17頁に、豊浜町姫浜の合田照一製麺所の社長・合田照一氏の話として書き綴っています。しかしそこには、創業が明治39年4月で最初に始めたとありますが、高原通商店のホームページには、明治33年1月創業と書かれています。 後先多少のずれがあったとしても、讃岐の乾麺のルーツはここ観音寺市豊浜町にあるのは間違いのないことのようです。67頁には「仏生山のうどん」についても触れられています。いずれにしても貴重な歴史本で、新聞記者だった山田竹系氏が足で書いた名著であります。 最近香川県宅建協会が50年、島原ライオンズクラブが60年、香川県不動産同友会が40年、横田めぐみさんが拉致から40年と続きますが、この本は昭和52年10月に発行されています。こちらも、40年です。彼にお礼として贈呈しようと思いましたが、「持っています」と言われてしまいました。恐るべし、ライター萬谷純哉さん。彼の取材力もさるもの、確かに足で稼いでいます。 |
2017,11,23, Thursday
21日午後7時から、リーガホテルゼスト高松において、岡山後楽ライオンズクラブ(第1366回)と高松栗林ライオンズクラブ(第1322回)の合同例会が開催されました。今年の当番が高松栗林ライオンズクラブで、岡山から7名のメンバーが来高。高松栗林ライオンズクラブの入会式に、大きな花を添えて下さいました。
岡山後楽ライオンズクラブは、L的場三樹男会長、L佐藤順一幹事はじめ、L太田修二前会長もお見えになっていました。遠路ご苦労様です。毎年交互に訪問し合って、もう20年近くになると思います。岡山開催時には、高松栗林ライオンズクラブに配慮し、岡山県南の児島当たりのホテルで開催となっています。 栗林LCは、今年度初めての入会式で、3名の正会員の誕生です。増田宗樹会長を中心に、執行部もクラブ結成55年の節目でも有り、会員増、新アクティビティー等に汗を流しているようです。私は今年の執行部入りしていないもので詳細は分かりませんが、周年事業計画も進んでいます。 ところで本日の入会者は、L白川忠臣はL増田宗樹会長がスポンサー、L那須雅人はL横関一也が、L満岡弘巳はL真弓哲二がそれぞれスポンサーとして入会されました。若いライオンの入会で、昨年度の11名入会の勢いが続いているようです。会員減がどのクラブでも頭の痛いところ、熱心な勧誘で、メンバーが増えることを祈念しております。 |
2017,11,22, Wednesday
少し前のことになりましたが、われわれ高松商の応援団には、微妙な結果になった第48回明治神宮野球大会は14日、高校の部の決勝が行われ、明徳義塾(四国)が創成館(九州)を4-0で下し、1981年以来36年ぶり2度目の優勝を果たした。四国勢の優勝は、2015年の高松商以来2年ぶり。四国地区は来春の選抜大会の「神宮大会枠」を獲得し、同地区の枠は4となった。
四国新聞をそのまま転記していますが、高知春野球場での四国大会、ベスト4の高松商は、準決勝戦で英明に12-2の大敗、選抜大会への出場はなくなったと誰もが思った。ところが先の記事のように、明徳義塾が神宮大会で優勝したもので、四国枠が3から4になった。高松商出場の可能性も、ほんの僅かだが復活したのだが。 それに19日の招待試合で、強豪校高崎健康福祉大学高崎高等学校に僅差だが5-4でせり勝った。2-12の大敗からは、想像できない奇跡のような勝利だが、高校生は立ち直りも早い。これからの体づくりでパワーがつけば、得意の攻撃にも期待が広がる。このまま順調に行けば、四国大会ベスト4の高松商にも、僅かではあるが選抜される可能性が広がった。 これをどのようにとるか、関係者の一人としては頭の痛い問題であります。少なくても正月気分は、やきもきしながら1月26日の発表を迎えることになるでしょう。今年の準決勝戦を見ていたら、とても甲子園で勝つとは思えないが、そこは高校生のすること、やってみなければ分からない。としても、前回の選抜大会は四国1位だったもので、まず間違いのない立場で準備が進んだ。悩ましい毎日が、これから続きます。 来年の春の選抜大会準備は、1月26日の高野連発表まで、学校側も紫雲会も高商倶楽部も、何も出来ない状態。イライラが募る今の状況について、高松商ホームページ委員会のコメントとして現実と期待を発表しています。あくまでも学校側のコメントではないことを、付け加えておきます。とは言いながら万一に備えて、関係者の皆様、年末年始の出費はお控え下さいませ。 |
2017,11,21, Tuesday
県下若手不動産業者20名で、昭和53年7月香川県不動産青年同好会がスタートしました。初代会長に故植本義明氏を選び、これからの業界の激変に対応出来る、勉強会的性格と親睦を図ろうという意図を帯びた組織の誕生でした。次の時代の、香川県宅建協会役員の育成という側面もあったように聞いています。
昭和63年に名称を、香川県不動産同友会(40代安野彰一会長)と変更しています。私は御尊父4代安野公尚会長の昭和56年に入会を許され、平成2年13代会長をさせて頂きました。折しも昭和バブルの地価加熱がピークに達していて、「明日の不動産を考えるシンポジウム」を開催しました。 このまま土地神話は続かない、地価が半値になると、警鐘を鳴らしたシンポジウムでしたが、1年の準備期間中は、どこへ行っても冷ややかな目で見られていたことを、今でもよく記憶しています。そんな中、9月にNHKが特番を組んで、私の考えとよく似た「地価下落」を予想する番組を連日流しました。 今日も声が出ないと言いながら3曲を熱唱した河野二郎さんには、「あのシンポジウムが高松の地価を下げた」と言われましたが、もちろんシンポジウムをしてもしなくても、間違いなく地価は下がりましたが、あのタイミングで「地価は下がる」と予想することは、馬鹿呼ばわれの骨頂でした。 その後20周年30周年と、節目毎に記念式をしてきました。特に20代川松義春会長の年には、「賃貸管理業」のシンポジウムを今はなき高松市民会館で行いました。講師三人に、150万円を支払いました。当然それに見合う集金も、きっちりしました。今考えたら、どえらいことをしでかしたものです。 現日下雅彦香川県宅建協会会長も、杉野温専務理事も、副会長の私も、香川県不動産同友会の元会員です。86歳の元協会副会長久保喜治さんは、未だ現役会員。会員数35名で、女性会員が皆無。徳島の若手不動産グループとの交流は、今でも脈々と続いているようです。 記念式典は18日17時より、リーガホテルゼスト高松で行われ、来賓に日下雅彦香川県宅建協会会長と徳島宅建協会の清水哲也会長のお二人を迎えて、また徳島のTREIN(Tokushima Real Estate Information Network)メンバーも駆けつけてくれていました。 |